バカでもいい。バカのほうがもっといい!

「Pen+」

久住 この講義録のほかにも、赤塚不二夫さんの生誕80年記念の本が出るんだけど、それにも俺書いているんだよ、下落合界隈を歩くという企画で(注・CCCメディアハウス「Pen+」、完全保存版「いまだから、赤塚不二夫」特集)。あのあたりを歩いていて思ったんだけど、町のいろんなところに赤塚さんの何かが残ってて、町の人が赤塚さんのことを大好きな感じがするんだよね。それがすごくいいなと思った。

みうら 赤塚さんが常連だった飲み屋には行った?

久住 行った、行った。「権八」ね。赤塚さんのボトルがまだ置いてあったよ。いっぱい漫画家のサインが飾ってあって、その中にみうら君のもあった。みうら君が行ったのは、赤塚さんが生きてる頃?

みうら もうその頃はお亡くなりになってた。あの店には、NHKでやった赤塚さんの特番のロケで行ったんだよ。

久住 何も調べないで町を歩いていて、「ここは赤塚さんのニオイがするぞ」と思って偶然入った店だったんだ。

みうら あ、たまたま入ったんだ。さすが『孤独のグルメ』だね。嗅覚がスゴイ(笑)。まあ、俺もクスミもバカ田大学卒業生だからね。

久住 この講義録は、卒業生たちの本だよね。

みうら 赤塚さんの漫画を読んで、「バカでもいいんだ、いや、バカのほうがもっといい!」って思ったもんね。赤塚さんは、ギャグ漫画を全うした人だった。人生において、バカ田大学の卒業生であり続けるのは、なかなか難しいけどね。

久住 うん。人って、最後はなんか落ち着きたいみたいになっちゃったりするからね。

みうら バカはさ、基本、真面目な考えの人しかできないから。

久住 それに、赤塚さんの漫画はやっぱ面白い。この本(『バカ田大学講義録なのだ!』)の表紙を見ても、バカボンのパパの顔がもう面白いよね。鉛筆を鼻の下で挟んでいるけど、強引過ぎるじゃんね(笑)。

みうら それが鼻毛なのかヒゲなのかってのも、どうでもいいんだよね(笑)。

久住 造形として面白いからね。

みうら 赤塚さんがご存命のころ、2度ばかりフジオ・プロに行かせてもらったことがあって、ウォーターサーバーみたいな機械に、ちょうどいい配合の酎ハイが作ってあったんだよ。それをコップにチューッと出して配ってくれて。

久住 へぇー。

みうら 俺、編集者と3人ぐらいで行ったら、赤塚さんに「君は先生なのか!?」と聞かれて、「いや、先生なんかじゃないです」って言ったら、「君が先生だったら、僕は大先生なのだー!」って(笑)。それで、チャップリンの短篇の映画を「これを観てないとダメなのだ!」とおっしゃって、部屋にある大きなスクリーンに流してくれたんだけど、ご本人は熟睡されてた(笑)。

後編へ続く

みうらじゅん

 

1958年京都府生まれ。イラストレーターなど。武蔵野美術大学在学中に漫画家デビュー。以来、漫画家、エッセイスト、ミュージシャンなど幅広く活躍。近著に『「ない仕事」の作り方』『されど人生エロエロ』など。


久住昌之

 

1958年東京都生まれ。漫画原作者、エッセイスト、ミュージシャン。81年、泉晴紀(現・和泉晴紀)とコンビを組み『ガロ』で漫画家デビュー。『孤独のグルメ』『花のズボラ飯』などの漫画原作を担当。

’60年代中盤に大ブームとなった「シェー」ポーズをキメるみうら少年(上)と久住少年(左下)