
11月の某日。清水ミチコ、光浦靖子、一青窈が女子会トークを繰り広げるNHKの番組を見ていて、あれれ、と思った。3人が今年の思い出を語るコーナーで、光浦さんと一青さんが、一緒に石垣島に行ったことをあげ、これでもかというほど青い空とエメラルドグリーンの海をバックに、砂浜でジャンプしている写真が映し出された。よほど愉しいのか、すごいジャンプ力だ、と目を見張っていたら、「撮影・俵万智」とあるではないか。撮影者のはずむ心も伝わる、いい写真だった。
そういえば、一青窈さんに、俵さんが短歌のつくり方を手ほどきする本「短歌の作り方、教えてください」(角川学芸出版)が出ているし、俵さんは石垣島在住である。番組を見ていると、一青さんが、島でシークレットライブをするのに合わせて、光浦さんも島へ渡り、そこに俵さんも合流したらしい。何より驚いたのは、その時3人でシュノーケリングを楽しんだとのことを後日、俵さんから聞いたことである。
たしか俵さんは元来の運動音痴。水着に着替えるのすら嫌いで、「妙に窮屈で、ベタベタしたり、ねちゃねちゃしたり、裏返ったり、こんぐらがったり。その面倒くささを思うだけで憂鬱になる」と書いていた正真正銘のインドア派のはずだ。それが、である。
・シュノーケリングした日は思う人間は地球の上半分の生き物
海に潜ればサンゴ礁が広がり、魚はうじゃうじゃいる。まるで、水族館のガラスケースの中に紛れ込んだように感じるという。
・ぬらぬらのしましまの棒縦に伸びエラブウミヘビ息つぎをせり
俵さんの第5歌集は、島に住んでからの日々が、豊かな自然とともに活き活きと歌われている。モズクを根元からちぎって、海水で洗って口に放り込めば、潮の香りが胸いっぱいに広がり、感激のあまり、モズク採りに夢中になり、時間を忘れることもあるそうだ。
・潮満ちて終了となるモズク採りすなわちこれを潮時という
移住のきっかけは、2年前の3月11日東日本大震災だった。あの日、俵さんは、読売新聞東京本社で、ある会議に出ていた。歌集の第1章「ゆでたまご」は、その同時進行ドキュメントとでもいうべき内容である。
・「震度7!」「号外出ます!」新聞社あらがいがたく活気づくなり
すぐに両親と息子がいる仙台に電話したが、なかなか連絡はつかず、無事を確認出来たのは夜もかなり更けてからだった。交通機関がストップし、仙台入りしたのは、ようやく5日目のこと。異変が起きていた。