- 2015.05.27
- 書評
藤原正彦が書き継いだモラエス――それは父新田次郎の内なるサウダーデ
文:縄田 一男 (文芸評論家)
『孤愁〈サウダーデ〉』 (新田次郎・藤原正彦 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
本書『孤愁 サウダーデ』は、一九七九年八月二十日から「毎日新聞」に連載された作品で、それに先立つ同年八月十七日に、「新朝刊小説「孤愁(サウダーデ)」の世界――新田次郎氏に聞く」という桐原良光記者構成による談話が発表された。
まず記者が、
二十日から朝刊連載小説に、本紙初登場の新田次郎氏が「孤愁(サウダーデ)」を執筆する。「もう一人の小泉八雲」といわれる海外への日本紹介者、ポルトガル人のヴェンセスラオ・デ・モラエスの半生に取り組み、日本を愛し続けた一人の外国人とその周囲にいた日本人を通して、人間と時代を描こうという構想。作品ごとに新しい世界を開いてきたベストセラー作家新田氏は、この作品で「書くのは難しい」といわれる“外人”に挑む。「快調に進み始めました」という新田氏に「孤愁(サウダーデ)」の世界を聞いた。
と紹介があり、次に談話がある。
新田次郎がモラエスを知ったのは、富士山頂測候所勤務時代の、昭和十、十一年頃。その折、日本語に訳されたモラエスの「徳島の盆踊り」「おヨネと小春」を読んだことによる。さらに十年前(当時)、小説家として「定本モラエス全集」(集英社)を読んで、一層感激が高まり小説の対象として具体化したという。
新田はこの談話の中で、作品に懸ける意欲の源泉を、さまざま語っており、
いわく「もう一人の“八雲”といったような興味で読んだのですが、驚きましたね。その日本人観に。まるで日本人が日本を書いたようなんです。感激しましたね。『おヨネと小春』でも、二人の女性が亡くなり、墓参りをして家へ帰ったが暗くて戸のカギ穴が見つからない。と、ゲンジボタルがスーッと飛んできてカギ穴を教えてくれる。これはおヨネか小春か……というんですが、いかにも日本人的じゃないですか」。
いわく「エッセイで日本の女性を絶賛しているんです。ほめすぎのようなところもあって、(中略)それに日本の自然をほめている。ポルトガルの自然を少し入れながら日本の自然を紹介しているんですが、私は逆にポルトガルが知りたくなった。(中略)どうしてもポルトガルを見なくちゃいけない、という思いが高まりましてね」。
いわく「自分の足で歩いてみて、読むだけではわからなかったモラエスの見方や気持ちがわかってきた。原点を踏むことによって初めてわかった。取材に骨を折ったが、折ったカイがありました(後略)」。
新田の取材は、ポルトガル、マカオ、長崎、神戸、大阪、徳島と何度も繰り返されたという。
その取材で、モラエスのエッセイには、よくマツとスギが出てくるが、ポルトガルの北部はマツばかりであり、スギはないがヒノキに近い木、シードロがあり、格好はスギそっくり。さらにヨーロッパ人は焼き魚は死臭がするといって嫌うが、ポルトガル人は、聖アントニオ祭の日にイワシを焼いて食べる。また、おじやに似た食べ物、ミソ汁そっくりなスープ、豆腐の味のチーズ、といった共通点が次々に浮かび上ってきた。
かのシーボルトも、母国オランダには日本のような四季がない、といい、多くの植物を採集、日本の花木や草花の株を母国に運ぼうとしている。
また、都市文化に関しても、ここに一つの挿話を紹介しておきたい。
いささか唐突だが、『半七捕物帳』の作者である岡本綺堂が、父の勤めている英国公使館の書記官アストンと神保町を歩いていたときのことである。
そのあたりは、路幅も狭く家並も悪い。おまけに各商店の前には色々な物が雑然と積んである。
それを恥じた綺堂は「ロンドンやパリの町にこんな穢い所はありますまいね」と話しかける。するとアストンもそれを肯定するが、意外なことに日本の町には、ロンドンやパリ、シンガポールや香港にも見出すことのできない大きな愉快、すなわち、道を行く老若男女の楽しげな顔を見出す愉快を感じるといい、さらに次のように続けるのである。