一九九五年に「患者よ、がんと闘うな」を「文藝春秋」に連載してから十年がたち(現在は文春文庫)、その集大成として、『がん治療総決算』を上梓することになりました。
今回の本は、がんといわれたときにどう考え、どう対処するかを予備知識として身につけてほしいと思い、体系的にわかりやすく書いたつもりです。とくに、がんといわれても、あせらなくていいということを理解していただきたい。がんはじつはそれほど急には大きくなりません。一月(ひとつき)、二月(ふたつき)考える時間は十分にあります。
残念ながら、がんより医者のほうが怖いことがあるのです。がんと闘う前に、医者と闘わなくてはならないことが多い。その意味で、この本は、がんの危機管理もさることながら、医者に対する危機管理をどうするかという本です。
医者がもたらす危機とは、患者の不安と恐怖を煽って治療に追い込んでいくこと。それが妥当な治療であれば問題ありませんが、過剰な手術や抗がん剤の多用という医者の意図的な誘導から逃れる術(すべ)を知っておくべきです。
がんはそれほど急には大きくならず、そのままだったり、消滅することがあると知っているだけで、対応はずいぶん違ってくるでしょう。手術以外の治療法や、抗がん剤を使わないほうがいい場合があることを知っておくと違ってくるのも、おわかりいただけるはずです。
大きく変わったがん手術
十年前に、手術、抗がん剤、がん検診、臨床試験などを批判した「患者よ、がんと闘うな」があれほど反響を呼ぶとは思いませんでした。じつは、はじめは書くのを躊躇していたのです。医学など自然科学の分野では、同じ内容を何度も論文にしてはいけないという縛りがあります。業績を水増しさせないために、二重出版禁止というルールがあるのです。そのルールが身に染み付いているので、他の書籍・雑誌などですでに書いたテーマを繰り返すのはどうかという気持ちがありました。しかし、「まだあなたの考えを知らない読者が多いから」と説得されて、あえて執筆したわけです。
一九九三年九月上旬、司会者の逸見政孝さんががんを告白する会見を開いて注目を集めました。そして再発したがんを取り除くために再手術して臓器を数キログラム摘出したと聞き、別の雑誌に「意味のない手術」と批判したのが「文藝春秋」に連載するきっかけでした。
逸見さんのケースは、二つの意味で大きな出来事でした。
ひとつは、有名人が自ら再発がんであることを告白したこと。一九八七年の昭和天皇の手術(膵がん)では、まだ病名は隠されていました。そうしたタブーをなくしたという点で、評価されるべきでしょう。
もうひとつは、「がんは、なんでもかんでも手術して取り除けばいい」という幻想が打ち砕かれたことです。日本人の手術に対する意識を大きく変えたといえるでしょう。
「患者よ、がんと闘うな」は、日本のがん治療の現状をかなり批判的に書きました。大学病院やがんセンターの権威を実名で登場させたこともあり、読者としては面白くて、インパクトがあったのでしょう。
それが単行本化されてベストセラーとなって、驚くと同時に、専門家から抗議めいた手紙がきたり、反対意見の本がでたり、学会で批判されるなど社会現象化したわけです。私ががん検診の学会で講演すると野次が飛ぶ、など異様な雰囲気がありました。
しかし、「患者よ、がんと闘うな」は、がんと言われたときにどうすればよいかを体系的に書いたわけではありません。闘病して亡くなった人を家族・知人に持つ人が読んで賛同してくれたのでしょうが、実際がんに罹った患者には、若干読みにくかった可能性があります。
その後の『ぼくがすすめるがん治療』(九九年、現在は文春文庫)では、それまでの論争をふまえて回答を出しておくと同時に、最良の治療法を選ぶにはどうしたらよいかを意識して書きました。ただ、反論への再反論にページを費やすと、どうしても特定のがんに対する対処法の記述が少なくならざるをえませんでした。
それから、また五年たちましたが、この十年でがん治療は、大きく変わった点と変わらない点があります。手術で大きく変わった点は、かなりの部分が、ほかの治療法に置き換えられたことです。内視鏡的治療や、放射線、さらに焼灼・冷凍など、臓器を摘出しない非手術的な治療法が登場し、件数も伸びてきました。
一方で、手術をする場合には、依然として、リンパ郭清をして広範囲に摘出する姿勢がそこかしこに残っています。
乳がんの手術を考えると、乳房全摘の件数と、温存療法の件数は逆転したでしょう。それは温存療法を推進する外科医が増えているからです。ところが、子宮頸がんでは、放射線治療を行えば大部分は手術しなくていいのに、現実には広汎に切除されている状況は十年前と変わらない。
おそらく医者の態度が違うからで、乳がんでは、温存療法の前にも多少とも手術はするから、外科医の仕事はなくなるわけではない。しかし、子宮頸がんの場合には、放射線治療を行えば、婦人科医の出番は一切なくなる。そうすると、婦人科医は仕事が激減するので、手術をやめようと旗を振る婦人科医は出てこないと考えられます。
広がる抗がん剤治療による被害
抗がん剤治療では、がん告知のタブーと同じで、以前は患者には抗がん剤と知らせることができませんでした。かつて私が、抗がん剤治療を解説する本を出したことが、大きな新聞記事になったような状況でした。しかし、今では抗がん剤だと患者に伝えることは当たり前になっています。
ところが、抗がん剤治療による被害はかえって広がっているといえます。抗がん剤では、特定のがんは治せますが、大部分のがんは治せないということを、医者も患者も認めたがらない傾向があるのが一因です。患者が効果を認めたくなる気持ちもわからないではありませんが、抗がん剤で命を縮める可能性があるからこそ、データをきちんと知ったほうがよいのです。
医者が本当のことを言うと、多くの手術や、抗がん剤治療は受ける人がいなくなってしまうでしょう。換言すれば、手術や抗がん剤治療がさかんに行われている現状こそ、私からみると、医者が不十分な説明しかしていない証拠であると思います。
もうひとつ象徴的だったのは、今度の本にも書いてありますが、昭和天皇と平成の天皇の手術です。昭和天皇の場合は、本人に膵がんを告知せず、手術内容の正しい説明もしませんでした。しかし結果的には、がんを切らずにバイパス手術だけにとどめた妥当な治療だったと思います。
それに対して、平成の天皇の場合、最初から前立腺がんを告知して、本人も公表を希望し全摘手術が行われました(二〇〇三年)。しかし、その前年には、手術をしても、様子を見ても、生存期間・生存率には変わりはないというデータが発表され、また、アメリカでは放射線治療件数が手術件数を抜いていたのです。手術では再発の可能性が残る上、おむつが必要になるケースが多く、性機能が阻害される危険性も高いからです。
前立腺がんには、手術以外にも放射線治療が可能で、私がみるかぎり、正しい情報が伝えられたのかどうか、疑問に思わざるをえません。
主治医団の構成をみると、泌尿器科医ばかりで、放射線科医はおらず、偏った情報提供がされたのではないかと思います。そういう状況下で、問答無用で手術するのはいかがなものでしょうか。
病気・患者を大量生産する社会
現代の日本は大量生産・大量消費社会ですが、医療もその例外ではありません。こういうと、種々の検査機器や治療薬などの大量生産をイメージするかもしれません。しかし、見方を変えると、生産されているのは、患者であって、消費されるのは患者の身体そのものです。
がん治療でいうと、「痛い」「苦しい」といって患者が病院に来て、がんを見つけて診断をくだす。それだけでは、患者の数はかぎられます。しかし職場検診、人間ドック、さらに地域のがん検診でさまざまな装置を駆使すれば、無症状の人からもがんを発見できる。病気・患者の大量生産です。
がん以外の病気では、「消費」というイメージは少ないかもしれませんが、がんの場合には、手術で臓器をとり、抗がん剤で正常な細胞を殺すから、まさしく消費です。消費とは英語でconsumeですが、consumeにはもうひとつ「消耗」という意味があります。
現代医療は、人々の不安感を煽って検査に来させ、さらに不安感・恐怖感を助長して薬を飲ませます。いったん病名をつけられて、患者になると、心がやすまることがありません。だから、医療における消費者(consumer)というのは、自らの肉体と精神を消耗させる人、という意味にもなりかねないわけで、がんにかかっても真の消費者たるには、それ相応の知識と自覚が必要とされるのです。
-
1千万円超の高額治療費も! 患者を食い物にする「免疫療法」に騙されるな
2024.05.29ためし読み -
「ステージ4でも諦めない」国立大学の教授でさえも騙された…「がん“エセ医療”」の悪質すぎる“実態”とは
2024.11.05読書オンライン -
「膀胱がんで死んだ友達ー松田優作が頭に浮かんで…」 がんから復活した北方謙三が励みにした“船戸与一の闘病”
-
がんをウイルスで治す日本発の画期的治療とは?
2021.12.27ためし読み -
悲愴感ゼロ、新しい時代の「がん闘病記」
2024.11.29ためし読み -
欽ちゃんが妻スミちゃんを亡くした直後に語った 2人の「ありがとうの物語」
2024.11.25読書オンライン
-
『リーダーの言葉力』文藝春秋・編
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/12/17~2024/12/24 賞品 『リーダーの言葉力』文藝春秋・編 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。