有効性が立証されていない自由診療のがん治療を、末期がん患者に高額で提供する医者が存在する――ここでは、ジャーナリストの岩澤倫彦氏が日本医療の深い闇に迫った『がん「エセ医療」の罠』(文春新書)より「はじめに」を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/続きを読む)
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日本のがん医療には、無法地帯というべき闇がある。
「がんが劇的に消えた」「骨転移があっても効いた!」「ステージ4でも諦めない」などの謳い文句を使い、がん患者に奇跡的な治療効果を期待させて莫大な費用を取る、自由診療のがん治療のことだ。まるで最新の医療テクノロジーを駆使した、特別な医療であるかのように見えるが、実際は、現代医療に必須のエビデンス(科学的な根拠)が存在しない。規制する法律がないために、モラルを欠いた一部の医者が、命の瀬戸際に追い詰められたがん患者を相手に、荒稼ぎしているのだ。
進行がん治療の第一人者である、日本医科大学腫瘍内科の勝俣範之教授はこう述べる。「世界医師会によるヘルシンキ宣言では、『有効性が確認されていない治療は医療行為ではなく、研究として行わなければならない』としています。しかし、日本では有効性が確認されていない自由診療を行う医師が、誇大広告や虚偽広告によって患者を集めて多額の報酬を得ています。これは患者にとって有害な医療であり、『エセ医療』と呼ぶべきでしょう」
本書ではこれまで闇の中にあった「がんエセ医療」の実態を徹底取材で明らかにする。
医療界は見て見ぬふり
がん医療の裏側に広がる闇を知らない患者は、エセ医療の罠にかかり、適切な治療を受ける機会を逃し、治る見込みもない無駄な治療に、貴重な残された時間と大金を費やす。最悪の場合、体調が悪化した時に受け入れ先の病院がない、という悲惨な結末を迎えたケースもあるのだ。倫理的に許し難い「エセ医療」について、日本の医療界は知りながら、見て見ぬ振りをしてきた。
国立がん研究センターの統計によると、日本人が生涯のうちで、がんと診断される確率は、男性で65.5%、女性で51.2%である。その時に備えて、定期的にがん検診を受け、保険に加入する人は多い。ただし、がんと診断されて重要になるのは、適切な治療を選択するための「事前に蓄積された情報」だと思う。
がんに罹患した場合、誰でも現時点で最も有効性が高い「標準治療」を保険診療で受けることができる。保険診療として承認される治療(薬を含む)は、臨床試験で既存の治療より効果が高いと証明された世界標準の治療なのだが、あまり知られていない。
ただし、がんは発見された時期や臓器によって、治療の経過は大きく違う。残念ながら、「標準治療」が効かず、がんが進行してしまうケースは少なからず存在する。また、抗がん剤治療の副作用が辛くて、治療を途中で断念せざるを得ないケースもある。
こうした患者を待ち構えているのが、エセ医療なのだ。
エセ医療の代表格
その代表格というべき存在が、「免疫細胞療法」である。かつては次世代のがん治療と期待され、1990年代から2000年代にかけて大学病院などで数多くの臨床試験が行われた。様々な種類があるが、基本的に患者から採取した血液の免疫細胞を増やしたり、活性化してから体内に戻す治療である。結局、免疫細胞療法は臨床試験で有効性が立証できず、保険診療として認められなかった。そして、がんには効かないというエビデンスだけが残ったのである。
だが、一般の人は、こうした歴史を詳しくは知らない。
保険診療が、有効性のエビデンスを厳しく審査されて承認されるのに対して、自由診療の治療法には何も審査がなく、医師の裁量に委ねられている。だから、がんに効かないことがすでに判明した、昔の免疫細胞療法をあたかも“最先端のがん治療”と称して、患者から高額な費用を取ることさえ可能なのだ。
世界の医療現場には、EBMという概念が普及して久しい。エビデンス・ベースド・メディシンの略で、直訳すると「科学的根拠に基づく医療」である。つまり、エセ医療は、EBMとは真逆の存在なのだ。
読者のなかには「自分は論理的な思考をするので、そんなエセ医療に騙されることはない」という自信を持っている方もいるだろう。だが、実際にがんと直面すると、人は冷静さを失う。「死」がすぐ背中に迫っている焦燥感に駆られ、普段であれば考えられない選択をしてしまうのだ。
医師でさえも騙された
例えば、ある国立大学の教授は、がんが転移した時に標準治療と比較したうえで「免疫細胞療法」を選択した。だが、治療効果は何もなく、がんが進行した末に亡くなった。親しい友人によると、エビデンスの確かな標準治療を受けていれば、十分に完治できる可能性があったという。私はその教授を個人的に存じ上げていたので、後にその顛末を聞いて驚いた。極めてインテリジェンスの高い方で、医学的な知識も豊富だったからだ。それでも、エセ医療に騙されてしまうのである。
また、ステージ4のがんを抱えた元大学教授の消化器外科医が、免疫細胞療法を選択したケースもある。その方も治療の効果は全くないまま、亡くなった。一般よりも医療に精通している医師でさえ、エセ医療に誘引されてしまうのだ。命の瀬戸際に追い詰められた精神状態になると、誰でも冷静な判断ができなくなる。
日本は世界トップクラスのがん医療を、保険診療で受けることができるが、この優れた制度を知らない人が多い。そこでエセ医療は「多額のカネを払えば、保険診療よりも優れた特別ながん治療を受けられるのではないか」という幻想を巧妙な方法で患者に抱かせる。
その一つがホームページなどに掲載されたCTなどの「症例画像」だ。免疫細胞療法などのエセ医療で「がんが劇的に消えた」とされる証拠の画像は、患者にとって強い説得力を持つ。
国立がん研究センター・がん対策情報センター本部の若尾文彦副本部長(放射線科医)に、あるクリニックの「症例画像」を検証してもらった。その結果、異なる位置の画像を並べて、まるで病変(がん)が消えたように見せているケースが複数見つかった。
格好のターゲットは…
エセ医療にとって格好のターゲットになっているのが、がんが転移、または再発した、厳しい状況に立たされた患者である。「末期がんでもあきらめない」、「体に優しいがん治療」などのフレーズで患者を奮い立たせ、高額な自由診療に誘導するのだ。そして、著名な大学やブランド病院などの名前を巧みに利用して、患者を信用させる。
免疫チェックポイント阻害薬「オプジーボ」の開発が評価されて、2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学特別教授の本庶佑氏は、自由診療の免疫細胞療法について「明確なエビデンスがない医療をビジネスとしてやるのは、明らかに『医の倫理』に反している」と厳しく批判した(「文藝春秋」2020年3月号・筆者インタビュー)。
「免疫細胞療法」以外にも、話題の光免疫療法(レーザー光でがんをピンポイントで治療する)とは似て非なる「自由診療の光免疫療法」、「高濃度ビタミンC点滴」、「オゾン療法」などのエセ医療が、自由診療として堂々と行われている。これらは本物のがん専門医なら、絶対に勧めない治療だ。
たとえ患者自身が冷静でも、家族や友人などがエセ医療を熱心に勧めるケースもある。がん医療の現実を知らない人にとっては、ネットで宣伝されている謳い文句を真に受けて、「なぜこんなに素晴らしい治療を受けないのか?」と思うらしい。患者を助けたいという善意さえも、エセ医療は利用する。
エセ医療を国が公認
がん治療に関わる真っ当な医師たちは、エセ医療に対して苦々しい思いを抱いているが、自分の患者がエセ医療を希望した時に、強く引き留めはしないだろう。
正しくはできない、と言うべきかもしれない。なぜなら、2014年に施行された「再生医療等の安全性の確保等に関する法律(以下、再生医療等安全法)」で、自由診療の免疫細胞療法が公認されたからだ。当時の安倍政権が、再生医療を成長戦略の一つに掲げて、有効性が確立していない免疫細胞療法を、患者が高額な費用を負担して行うことができるように認めたのである。以来、この法律は世界標準のEBMを無視して、エセ医療を国が公認した“天下の悪法”といわれるようになった。
がん医療の専門家の中には、前出の勝俣範之教授のようにエセ医療に対して警鐘を鳴らす人もいる。こうした医療現場からの指摘を受けて、厚生労働省も重い腰を上げ、医療法を改正して、悪質なエセ医療を抑え込む戦略を計画した。具体的には、患者に誤解を与える表現や誇大広告、そして症例画像を広告に使用することを禁止するなどの方針を打ち出したのだ。
しかし、同法の改正を議論する有識者会議で、自由診療クリニックの顧問弁護士が「限定解除」という例外規定の追加を要求したことで、骨抜きの法改正となってしまった。
“金のなる木”と言われるエセ医療は規制されるどころか、国のお墨付きまで得て、患者の懐を狙っている。こうした状況だからこそ、私たちは正しいがん医療とエセ医療を見分ける判断力を養う必要があるのだ。
遺族の嘆き
がんに罹患した著名人が、自由診療のがん治療を選択するケースが後を絶たない。市場原理では、高額なほど質の高い“サービス”が受けられるので、がん医療を同じ感覚で捉えているのだろう。医療とは基本的に社会福祉であり、日本は公的保険制度で誰でも公平に最善の治療が受けられる。しかし、自由診療は基本的にエビデンスなき医療であり、莫大な治療費に見合う効果は無きに等しいのだ。
命の瀬戸際に追い詰められた患者に向かって、エセ医療を行う医師たちは、どのような言葉で語りかけているのか。効果が証明されていない治療で、高い費用を払わせることに罪悪感は抱いていないのか。その本音を知るために、私は彼らと対峙してきた。同時に、これまで口を閉ざしてきた患者やその家族の声を聞くために、各地を回った。
「あの治療は一体何だったのか、果たして治療と言えるのか。思い出すたびに苦しくなります。私たちと同じような思いを誰にもしてほしくありません」
エセ医療を選んでしまった患者の遺族は、私の取材に応じた理由をこう述べた。今は亡き患者の方々も、きっと同じ想いを抱いているはずだろう。
最善の選択をするために、エセ医療という最悪の現実を知ってもらいたい。
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