- 2014.02.19
- 書評
フクシマの未来の子どもたちへ
文:青沼 陽一郎 (ノンフィクション作家)
『フクシマ カタストロフ 原発汚染と除染の真実』 (青沼陽一郎 著)
ジャンル :
#ノンフィクション
放射性物質は、青森から長野に至るまで撒き散らされた。もちろん首都圏にもだ。汚染された山林や海は除染することができない。チェルノブイリに学べば、食物による内部被曝は、10年近く過ぎたころにピークを迎える。
除染で復興を目指すというフクシマだが、それが叶うのはいつの日か。
地元住民の言葉が印象的だった。
「除染をしても効果のないことは、地元の人間はわかっている」
震災から2年が過ぎた春、大手新聞の朝刊で、コラムを書くことになっていた。「テーマはなんでもいいから自由に。ただし論評は辛口で」という注文だった。顔写真と経歴の入ったレイアウトも出来上がっていた。
ところが、原稿が紙面を飾ることはなかった。最初はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)について書いたのだが、「うちはTPPの賛成派ですから」という理由で、ボツになった。
すぐに代わりの原稿を用意してくれ、という。そこで4月という時節柄、チェルノブイリ事故について書いた。すると今度は「うちは原発推進派ですから」と、随分と赤字を入れられた原稿が戻ってきた。さすがにその時点でこちらから降りた。思想統制のようなやり方に我慢できなかった。
現実を見つめ直す
フクシマの事故以降、日本の世論は大きく二分されている。すなわち、脱原発 vs 原発維持である。
そこで怖ろしいと思うのは、主張を強調するあまり、そこに嘘や曲解が混ざったり、あるいは、都合の悪い事実に蓋をして、封殺してしまうことだ。
フクシマ世代の悲劇は、そうした社会的事情が重なって、チェルノブイリよりも劣悪な事故処理の道を歩んでいるように思えてならない。
議論はとても大切なことだが、まず現実になにが起きているのか、冷静に見つめ直す視座がなければならない。現実を受け入れるだけの知力と覚悟が必要だ。そのことを日本人は忘れている。そこにもうひとつの不幸がある。
本書が出来上がるまでに、チェルノブイリとフクシマの取材で浴びた放射線によって、この身体もかなりのダメージを受けたことだろう。だが、それもフクシマ世代の一人として、なにができるのかを考えた末のことだ。決して明るい未来ばかりではないかも知れないが、せめて本書が時代の一助となることを望んで止まない。フクシマ世代の未来の子どもたちの為にも。