収奪論の神話性
『大韓民国の物語――韓国の「国史」教科書を書き換えよ』は少なくとも三つの理由で、三種類の日本の読者にきわめて有益である。
第一に、隣国に政治的な疑念を抱いている読者にとって。国家が半世紀以上も前の親日派を調査し、その名簿と行状を公開するといったニュースや韓国の北朝鮮に対する宥和政策のニュースに接して、解(げ)せないという感覚をもつ人々のことである。進歩派というよりは保守派の日本人に広く共有される感情や態度で、中には専門家といわれる人々も含まれるだろう。だが、ソウル大学経済学部教授の李榮薫(イ ヨンフン)氏が書いた本書を読むと、こうした疑念は、韓国人自身にも共有されていることがよく分かる。
李氏によると、韓国の政治は過去の亡霊から早く自由にならなければならないのであり、これ以上、死者が生者の足を引っぱるようなことをしてはならない。そもそも、世にいう「植民地収奪論」といったものは実証的な議論なのだろうかともいう。
生産された米のほぼ半分が日本に渡っていったのは事実です。しかしながら、米が搬出される経路は奪われていったのではなく、輸出という市場経済のルートを通じてでした。(中略)収奪と輸出はまったく異なります。収奪は朝鮮側に飢饉のほかには何も残しませんが、輸出は輸出した農民と地主に輸出にともなう所得を残します。米が輸出されたのは総督府が強制したからではなく、日本内地の米価が三〇パーセント程度高かったからです。ですから、輸出を行えば、農民と地主はより多くの所得を得ることになります。その結果、朝鮮の総所得が増え、全体的な経済が成長しました。
植民地収奪論はおおむね一九六〇年代以降、韓国の民族主義が高揚する過程で作られた神話に過ぎない。
李榮薫氏は一九五一年生の韓国経済史の専門家。古い土地台帳を資料に実証的な歴史研究をするとともに、今日のニューライト運動の中心にいる人物で、北朝鮮に宥和的な左派民族主義者にも自己陶酔的な右派民族主義者にも批判的である。
本書に接した読者は、韓国人がみな北の王朝に宥和的であるとか韓国人が日本を怨嗟(えんさ)の目で眺めているという印象が、実は自身の韓国や韓国人に対する先入観やステレオタイプの思考の産物であり、いま韓国は、北朝鮮との関係においても、日本との関係においても、重要な岐路にあるのだということに気がつくはずである。
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