──早川さんの口調も、九〇年が近くなってくるとだんだん寂しくなってくるし、やはりマスメディアを相手にしてパブリシティをすすめる以上、マスメディアの変化が、早川さんの仕事に影響を及ぼすわけですよね。六〇年代は大新聞の映画記者が相手だったのが、だんだんメディアが多様化して、海外からの情報も質量ともに増えてきて、そのうち若い映画ライターたちを相手にしなくちゃいけなくなる。映画が一方では、〈記憶〉のメディアである以上、早川さんも若い世代の映画観に違和感を覚えはじめる。最近のネット上でのブログの影響力にいたっては、理解を超えてしまう。
藤森 だから早川さんが何回か舌打ちしながらおっしゃるのは、昔はこういう仕事に携わっている宣伝部員も、実際にパブリシティを受け取ってくれるマスコミ関係の人たちも、本当に映画好きだったと。たとえば監督の名前や俳優の名前をあげれば、話がどんどん広がっていったんだけれども、いつの間にか、いくら説明をしてもなかなかわかってくれなくなる。これは早川さんだけじゃなくて、今回取材させてもらった誰もがみんなおっしゃることで、映画ファンはいったいどこへ行ってしまったのかと。
──ひとつの例が映画のタイトルですが、最近は原題をそのままカタカナに置き換えて公開することが多くなっています。その背景には現状でのマスメディアのあり方が昔とはちがうという事情があるにせよ、六〇年代の「俺たちに明日はない」(67年)という邦題も「今だったら『ボニー&クライド』だろうね」と早川さんはおっしゃる。かつては映画のタイトルをきちんと日本語で作れて初めて一人前だったのに。
藤森 そうですね。本社のチェックがきびしいらしいですね。つまり映画というビジネスがワールドワイドに進むようになって、本社がすべてを管理してくる。スチール一枚、ポスター一枚、日本では決められない。日本語のタイトルを付けると、これは英語にしたらどういう意味なんだと訊(き)いてくる。洋画配給による映画文化を輸入文化と考えれば、あり方がすっかり変わってしまいました。
──「燃えよドラゴン」(73年)のタイトルを付けるときに、司馬遼太郎さんに電話をしたというのはびっくりしましたね。
藤森 あれは早川さんが敬愛してやまない佐藤正二部長作ですね。本屋に行ってタイトルを考えていたら、『燃えよ剣』があったわけです。「エンター・ザ・ドラゴン」じゃわかんないものね。「俺たちに明日はない」というのも佐藤さんの傑作だけど、まさに六〇年代終わりころの空気ですよね。それを見事にとらえた素晴らしいタイトルでした。
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