台所に立つ子どもたち
『はなちゃんのみそ汁』刊行直後の反響は予想以上に大きかった。出版元の文藝春秋を通じて、百通以上の感想や励ましの便りが寄せられた。
「本を読んで、初めて苦しくなるほど泣きました。その日、私は出汁をとり、みそ汁を作りました。そして、五歳の娘に今度ママと一緒にみそ汁を作ろうね、と約束しました」(三十七歳、主婦)。「現在、我が子は七カ月。母として子どもに何をしてあげられるのか。今はしっかり愛情を注ぎたい」(三十一歳、主婦)。はなと同じ小学校の同級生の父親からは「深夜勤務が多いため、朝、家族と一緒に食卓を囲むことがなかった。今はどんなにつらくても早起きし、お茶だけでも飲みながら子どもと話をするように心掛けています」。
二〇一三年三月、はなは鹿児島県枕崎市の枕崎水産加工業協同組合から「枕崎鰹節ジュニア大使」に任命された。朝、かつお節を削る姿がテレビなどで全国に紹介されたのがきっかけだった。はなのもとに保育園や小学校からの「みそ汁講座」の依頼も相次いだ。福岡県大野城市の南ヶ丘保育園では、「はなちゃんみたいになりたい」と、園児たちが削り器の前に群がった。
福岡市博多区の会社員、宮原礼智さんは三人の子を持つ父子家庭の父親で、長女の紗和ちゃんは、はなと同じ年齢。宮原さんが仕事で遅くなり、紗和ちゃんが我が家に泊まった日のことだ。翌朝、娘たち二人は台所に立ち、朝食を作り始めた。紗和ちゃんにとっては、初めてのみそ汁作りだった。数週間後、宮原さんが熱を出して寝込むと、紗和ちゃんは家族のために、覚えたばかりのワカメのみそ汁を作ったという。
子どもたちが、家族のためにみそ汁を作っている。はなと出会ったこと、はなの存在を知ったことがきっかけ、と言ってくれる。ネット上では「幼い子どもを台所で働かせて、それでも親か」「母親が死んだのは自業自得。親の勝手なふるまいで人生を狂わされた子どもがかわいそうだ」などの指摘を受けることもある。目にしたときはショックだ。だが、重苦しい感情は次第に薄れていく。台所に立つ多くの子どもたちの姿が想像できるからだ。子どもが作ったみそ汁が食卓に並べられる家族は、きっと幸せに違いない。そう思えるからだ。
娘の涙
二〇一三年夏、ぼくたちは、車で福岡市の自宅から筑紫野市に向かっていた。バックミラーに、後部座席にあった『はなちゃんのみそ汁』を手にする、はなの姿が映っていた。出版からすでに一年半が経っていた。はながこの本を読む姿を見たのは初めてだった。「ママ、笑えるね」。はなの声に安心した。しばらくすると、静かになった。車を道の脇に止め、振り返ると、はなは本に顔を突っ伏していた。ぼくは、開かれたぺージをのぞき込んだ。
本当に、命がけで産んでよかったとあらためて感じております。
今は、私が、ムスメから寿命を延ばしてもらっています。
ムスメの卒園式まで。
ムスメの卒業式まで。
ムスメの成人式まで。
ムスメの結婚式まで。
ムスメのこどもが産まれてくるまで。
できる限り延ばしたいものです。
車のエンジンを止めた。
「どうした?」
「だって…。ママ、なんもできとらんやん。卒園式も、入学式も…来ることができんかった。楽しみにしていたのに。ママが…かわいそうすぎるやん。ごめんね、パパ。はな、この本、やっぱり読めないよ」
ぼくが早く本を読んでほしいと思っていることを、はなはわかっていた。そして、本を読み、千恵がどんな気持ちで死んでいったかを想像したのだろう。相手の立場に立って物事を考えられるようになっていた。ぼくは、はなの心の成長を感じつつも、即座に言葉を返すことができなかった。
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