書評

はなちゃんに贈られた一生のプレゼント
親が子にしてやれること

文: 竹下 和男 (子どもが作る“弁当の日”提唱者)

『はなちゃんのみそ汁』 (安武信吾・千恵・はな 著)

「竹下先生、生前の千恵さんに一度会ってるよー」

「えー、いつ?」

「九州大学で“弁当の日”のイベントをした後、打ち上げで博多市内の自然食レストランに行ったでしょ。そのときに、先生は千恵さんのあいさつを受けてたもん」

「子どもが作る“弁当の日”」を広げるための私の講演は、二〇〇一年の香川県滝宮小校長時代から始まり、これまでに全国四十七都道府県で通算千五百回を超えた。

 ニ〇〇九年末から講演の導入では、「はなちゃんのみそ汁」のスライドを流してきた。このスライドは毎回、参加者の号泣を誘い、そのうちにリピーターの講演会主催者は「“はなちゃんのみそ汁”を外さないで」とリクエストしてくるようになった。

 私が初めて、はなちゃん一家のことを知ったのは、千恵さんの友人のフリーライター、渡邊美穂さんがJAの機関誌に寄せた「親が子どもに残せるもの」という文章を何気なく読んだことからだった。当時、綾上中学校の校長だった私は泣いた。

 それから、スライドショーをつくるようになったのだが、講演後のアンケートによると、参加者の満足度はいつも極めて高いから、私の講演は「はなちゃんのみそ汁」のインパクトで成功してきたと言い切れる。小・中学生の感想文でさえ、はなちゃんに関する記述があふれている。

 そんな思いから、本書にも登場する内田美智子さんのお宅で“弁当の日”の仲間が集まって夕食をいただいていた時に「これだけ“はなちゃんのみそ汁”にお世話になっているのに、私は生前の千恵さんには一度もあっていない」と述懐したら、傍らにいた内田さんに冒頭のごとく指摘されたのである。私は必死になってその時の参加者や店内の様子や会話の記憶をたどっていくとおぼろげながら、思い出されてきた。

 そういえば「安武の妻です」とカウンターの向こうから挨拶をしてくださった女性がいた。そしてカウンター席には安武信吾さんとはなちゃんがいた。

 信吾さんとはそのひと月ほど前に福岡県の温泉宿で初めてお会いしている。“弁当の日”のイベントの前夜祭で、その時に誰かから、千恵さんが、がんを患っている身であることを聞かされていた。千恵さんからご挨拶をいただいたおり、瞬間的にそのことを思い出したが、千恵さんのとても自然な笑顔に「この方は完治するのかな?」と感じた。そのまま、私の記憶はかすんでいったらしい。

 内田さん宅の夕食会から香川県の自宅に帰宅した私は、改めてデジカメに残された過去の写真をたどっていった。すると“弁当の日”の仲間が談笑する背景に千恵さんが、偶然写っておられるのを見つけた。写真に写ることなど全く想定していなかったのだろう。少し苦痛の表情だった。まさに闘病中の千恵さんで、亡くなる三か月余り前のことだった。

 そもそも私がなぜ、「親は手伝わないで」を合言葉に、献立から買い出し、調理、箱づめ、片づけまでの弁当作りを学校教育の現場で「子どもが作る“弁当の日”」という実践をしてきたのか。理由は簡単だ。親は子どもより先に死ぬからだ。だから親は自分が生きているうちにわが子に「生きていく力」を育てておかなくてはならない。

 千恵さんは五歳前のはなちゃんに、日本人の健康づくりの基本であるみそ汁づくりを「食材のいのちをいただくための作業」として教えはじめた。だしの取り方は鰹節を削ることから始め、野菜の使い方、切り方は野菜の命を体内に取り込む手順として教えた。そして死期が迫ったとき、はなちゃんに指切りしながらお願いをした。「はなちゃん、毎日、お父さんのためにみそ汁を作ってあげてね。作り方は教えたよね。できるよね」

 千恵さんは苦しいわずかな「余命」のなかで、「生まれてきてくれた幸せ」と「今日も笑顔で向き合える幸せ」と「一日分の成長を見られた幸せ」のオーラをはなちゃんに浴びせ続けた。千恵さんには多彩なメニューをゆっくりと伝授する時間は残されていなかった。

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はなちゃんのみそ汁
安武信吾・千恵・はな・著

定価:本体580円+税 発売日:2014年08月06日

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