朝食を済ませ、掃除をしている最中、ぼくは友人から贈られた大きな花束を花瓶に移すよう、はなに頼んだ。ダイニングテーブルの中央に飾った生花を見ながら、はながつぶやいた。
「ねえ、パパ。花を見ていると、なんかさあ、やさしい気持ちになるよね」
「そういうのを、幸せって言うんじゃない?」
はなは今、小学六年生。二人だけの生活が始まって六年が過ぎた。千恵がいなくなって、ぼくたちは毎朝五時に起きるようになった。その日のうちに「やるべきこと」は、朝の時間に集中してやってしまうことにしている。祭壇の水を換え、千恵とイエス様に祈りを捧げる。二人で台所に立ち、朝食の準備。午前六時すぎにご飯とみそ汁の朝食を済ませると、はなはミニチュアダックスのアビーにえさを与え、英語のヒアリング、ピアノの練習、新聞一面コラムの書き写しを終えて、小学校へと向かう。ぼくは食器洗い、植物の水やり、洗濯物干し、掃除の順に家事を片付け、朝刊に目を通す。手帳を開き、一日のスケジュールを確認して出勤。終業時間に向けて全力で突き進む。夕方、会社から食材の買い出しや下準備をはなに携帯メールで連絡。予定時刻に帰宅し、二人で夕食の支度をする。早朝からフル回転で活動した分、夜はゆっくりと食事を楽しみ、頭と体を休める時間にしている。
家にはテレビがない。千恵のがんが再発したときから、彼女の十分な睡眠時間を確保するため、テレビのない暮らしが始まった。夜更かしは、がんの大好物だ。
「テレビがあると、つい、夜更かししてしまうよね。なくしちゃおうか?」
千恵からの提案だった。自宅で最後にテレビを見たのは二〇〇六年の大晦日。はなが三歳のころだ。ぼくは、幼少時から「テレビっ子」。両親が写真館を経営していたため、人の出入りが多く、朝から晩までテレビをつけっぱなし。そんな家庭で育っただけに「テレビ撤去」の提案に、最初は戸惑ったが、「治療の一環でもあるんだよ」と語る千恵の言葉に納得し、受け入れた。
たったそれだけのことだが、これが、思いのほか、家族に良い影響をもたらしてくれた。生活は夜型から朝型に変わった。食卓を囲み、家族で語り合う時間が増えた。お互いをよく理解するようになると言い争うことがなくなり、ストレスが減った。朝の時間が穏やかに流れる。心にも余裕ができる。娘に「早くしなさい」と急かすこともなくなった。家の中が平和になった。
家族にとっての娯楽は音楽と読書が中心になった。社会の出来事や情報を知る手だては新聞がある。ニュース速報はラジオでいい。映像に目と手足を奪われなくなったので、家事が効率的になった。何よりも驚いたのは、この生活を始めて十一カ月後、千恵の左肺に転移した再発がんが、抗がん剤を使わずに消えたことだった。テレビ撤去を機に、夜型から朝型へと改められた生活が、再発がんに直接作用して病巣を退縮させたわけではないだろうが、治癒に向けての強力な“サポーター”として働いてくれたことは間違いないと思う。誤解があってはいけないので付け加えておく。テレビの存在が悪いわけではない。ぼくたち家族がテレビと上手に付き合うことができなかっただけだ。とはいえ、この体験は貴重だった。自然に逆らわない生き方の大切さを思い知らされた。
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