本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
山によって自分を、人間性を取り戻す物語

山によって自分を、人間性を取り戻す物語

文:一志 治夫 (ノンフィクション作家)

『春を背負って』 (笹本稜平 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『春を背負って』(笹本稜平 著)

 ゴロさんはこうも言う。

 「自然から離れれば離れるほど人間は頭でっかちになるらしい。生まれて生きて死んでいく――。植物や動物にとっては当たり前のことなのに、頭でっかちになった人間はそれに逆らおうとする。人間も本来は自然の一部なんだから、正しい答えを本当は知ってるはずなのに、それを忘れて楽して得して長生きしようとばかり考える。そこが間違いの始まりなんだよ」

   六六歳のゴロさんが見ているのは、人生の果て、つまりは「死」だ。

 「死」もまたこの短篇連作の共通する肝要なテーマとなっている。

 父の死によって小屋の経営に乗り出した亨。山の中腹で見つかった白骨死体。ゴロさんの病。夫の死に直面し、自らもまた死の淵をさまよう登山者。途中から物語に加わってくる元ウェブデザイナーの美由紀もまた、「死」を手に亨やゴロさんと関わりを持ち始めている。

 山と死は、先の新田次郎を持ち出すまでもなく、山岳小説の普遍的なテーマだが、笹本さんのそれには現代ならではの歪みが大きく影を落としている。半世紀前に比べて圧倒的にスピードを増した社会は、人の心を荒ませ、人間関係を希薄にした。本小説で描かれるいくつかの死もまた、ある意味、土の消えた都会から持ち込まれたものなのである。

 一方、こうした「死」の対極に位置するのが山々の自然なのかもしれない。亨の父親が慈しみ育てたシャクナゲをはじめ、本小説では奥秩父の四季折々の植物が丹念に描かれている。その豊かな言葉の中に身を置くと、まさに奥秩父の空気を吸っているような気分にさえなる。本小説がどこか爽やかで後味がいいのは、巧みな自然描写によるところも大きいのかもしれない。そして、登場人物たちもまた、自然の中で生きることによって、自分を、人間性を、取り戻していくのだ。

 いずれの短篇にも共通しているのは、「マジックタッチ」とでも言うべき、物語のエンディングへと導く強い力である。それは、笹本さんがサントリーミステリー大賞をとられた『時の渚』をはじめとするミステリーや冒険小説の手練れのテラーであることと無縁ではない。

 奥秩父の山小屋は、ゴールデンウィーク前に始まり、十一月を最後に「小屋仕舞い」となる。私たちは、季節を追体験しながら冬をやり過ごし、やがて再び春を迎える。終章で用意された抑え目なハッピーエンドもまた連作のリズムを壊していない。

 ゴロさんは、最後にこんな台詞を言う。

 「幸福を測る万人共通の物差しなんてないからね。いくら容れ物が立派でも、中身がすかすかじゃどうしようもない。ところが世のなかには、人から幸せそうに見えることが幸せだと勘違いしてるのが大勢いるんだよ」

「梓小屋」の物語は、もしかするとまだこれからも続くのかもしれない。いや、まだまだ読み続けたいし、少なくとも私は、「生きることを問い続ける」ゴロさんの言葉を待っている。

文春文庫
春を背負って
笹本稜平

定価:649円(税込)発売日:2014年03月07日

ページの先頭へ戻る