――タイトルを付けるのが苦手だと聞いていましたが、秀逸なタイトルに思えてなりません。誰の誰に対しての、何に対しての言い訳なのか、登場人物のそれぞれが絶妙に絡み合っていますよね。
そうなんです。タイトルを付けるのは本当に苦手で。これも、「永い言い訳」というタイトルの作品を書こうと思って書き進めたわけではなくて、第1章にあったフレーズから「なんとなくこれなんじゃないかな」とぼんやりとピックアップしただけなんです。
そのあともほとんど無計画に書き進めていったんですけど、自分が書きたいと思っていたものが、「永い言い訳」というタイトルといろんなところでリンクしてくるという不思議な感覚でしたね。
――幸夫が面倒を見ることになる子どもたちが愛おしくて、この作品は、子どもの成長小説でもあるように思わされました。
子どもがいない人間の人生を書こうというのも、今回の課題の一つでした。子どもがいない、持たない、持てない人間にとって、世界とはどういうふうに見えているのか、世界との距離感というのは何なのかを、自分なりに書いてみたいなと。私には子どもがいないので、子育て中の友達の何人かの家に何泊かさせてもらって、子どもの居る暮らしぶりを取材させてもらったりもしました。不思議と、数日一緒にいるだけでも、「今何かが起きたら、自分がこの子たちを守らなくては!」みたいな使命感のようなものが芽生えたりするんですよ(笑)。
半分くらいはそれを参考にしつつ、もう半分は、自分が子どもだった頃はどうだったのかということを想い出しながら書いていきました。
――小説と映画について、いま西川さんが思われていることを教えて頂けますか?
いつもは映画のシナリオがあって、そこから小説にしていくことが多いのですが、今回は「なんとかこの話を2時間に収めなければ」みたいなことから自由になりたくて、まずは書きたいことを余すところなく書いてみようと思って進めていきました。今まで書いた小説とはまずはそこが違います。
映画の場合、映像を頭に浮かべられないものは表現できないのですが、小説では可視化できない感情を書けます。可視化できない世界をどれだけ膨らませられるかが、私が小説を書くときに一番大切にしているところです。
今回の作品を映像にしたら、幸夫にしか視点の軸をおけないですよね。映画は視点がたくさんあると見辛くなってしまうので。サブキャラクター達がどのように世界を見ていたかというのは、なかなか映像では描けない部分なんです。人によって起きている事態や見え方も違うというのをボリュームにとらわれずに書けるのが、小説の面白いところですね。
この作品では一人称と三人称が行ったり来たりしていますが、書いていて、自分自身でも飽きなかったです。
――早く次作を読ませていただきたいです!
そうですね、映画の合間に文章を書かせてもらえるのは、自分にとっても刺激になりますし、少しずつでも続けさせてもらえたらとは思います。映像化を頭に入れると変な計算や責任が生まれてしまうので、そこは外して自由に物語を書きたいなとは思っています。
でも、今は小説のアイデアがまったくないです(笑)。まずは、この作品に全てを注いだつもりです。
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