う~ん、その通りだ。ぼくもあまり嬉しくない。でも、地のままの自分はおもしろい人間じゃないのだ。おもしろくない人間が書く常識的な原稿を喜ぶ人がいるとは……。
「そんなことないんじゃない。僕は読みたいよ。だって、世の中の大多数の人は平凡でしょ。本当に才気のある人は尊敬や憧れの対象になることができる。でも、共感を抱くのは自分と似たような、ここに俺がいるっていうような原稿かもしれないよね」
短いやり取りだったが、ぼくにとっては忘れられない会話だ。普通だから、平凡だから、読者と同じ目線に立てるなんて、それまで考えたことがなかったのである。ここにある自分をさらけ出す。内側からこみ上げてくる興味に従い、考えたり体験したことをレポートする。それでダメならそれまで。単純明快。
心にかかっていた霧が晴れるように立ち位置がはっきりしてきた。もう二度と平凡さを指摘されてメゲたくはないと思った。
もうひとつ心に誓ったのは、共感を得るためにわざと弱い振りをする“自己演出”をしないことだった。じつはこっちのほうが難易度が高かったりしたのだが……。
変化はゆっくり起きた。劇的な事件なんてない。ぼくは何冊かたいして売れない本を出し、結婚して家庭を持ち、ひとつずつ歳を取った。そんなある日、親しい編集者からこんなことを呟かれた。
「北尾の取り柄は、慣れないことにあるのかもな。毎回ビビってるもんな」
その雑誌では、怪しげな通販グッズを試してみたり、危なげな仕事をしている人に会いにいったりする体験記事をやっていて、毎度腰の引けたルポを掲載していたのである。
「だから、たいしたことはしてないのに、妙に読者の共感を呼ぶんだよ」
「いや、だって、そういうルポしかできないんだよ」
そう、ぼくはぼくにできることをやっていくしかないのだ。凄いこと、突拍子もないことは平凡じゃない人に任せる。頼んだ。
こうして始まった40代。もう吹っ切れてます。
〈長い間やりたくてできなかった些細なことに挑む。テーマは小さな勇気〉
〈せっかく出版界で仕事をしているのだから書くだけじゃなくて出版社になって本を作る〉
〈古本にも興味が出たから、ネットを使って自分で古本屋を始めてみたい〉
〈人間の本性が丸出しになる裁判所に通って、小さな事件の傍聴記を書いてみる〉
〈人のことばかり観察して自分はどうなのか。肩書きなし、知り合いなしでも友人は作れるのか、六畳一間のアパートを借りてオノレの人間力を試す〉
〈海外にはいくつも誕生しているのだから、日本でも本で町起こしはできないか。地方で店舗を開き、そこを足がかりとする“ブック・ツーリズム”にトライしてみよう〉
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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