マーケティング業界にいる私の知人は、以前こんな感想を漏らしていた。
「テレビの番組は『作品』で、新聞の記事は『正義』。だからそこにマーケティングを持ち込むなんてことは、メディアの偉い記者さんやディレクターさんにはとうてい認められない。でも彼らだって、マーケティングに基づく広告費によって安定したサラリーを保証されてるはずなんですけどね」
高給を得ているのも忘れて、自分たちはまるで無報酬で社会のために奉仕しているような錯覚さえ持っている。
ところがそういう浮世離れした記者たちも、四十歳を超えると一部の幸せな例外を除いてみんな現場から外れ、経営側にまわって仕事をしなければならなくなる。日本では一部の例外を除くと、記者出身者が管理部門や財務部門、経営企画部門の幹部を占め、さらに社長も務めるというのが一般的になっている。それまでさんざんカネ儲けのことをバカにしていたのに、出世したとたんに急に経営戦略を立てろと言われるようになるわけだ。そんなことがうまくできるわけがない。
ぶっちゃけて言えば日本の新聞社は、経営の素人が見よう見まねで運営しているというのが実情なのである。
それでもこれまでは、情報発信をマスメディアが独占し、その独占力によって余剰の富を生んでいたから、新聞社やテレビ局の経営などたいして難しくはなかった。余計なことはしないで大過(たいか)なく過ごしていれば、自動的にカネが流れ込んでくる仕組みができあがっていたからである。
ところがネットが出現して、状況はがらりと変わった。このマスメディアの大敵は情報の独占支配を崩壊させ、情報流通を完全にオープンにしてしまった。独占支配による富の集中という源泉が涸(か)れてしまい、マスメディアには富が流れ込まなくなってきた。これに対抗するためには、鋭い直感力と包括的なビジネスセンスが必要だ。しかしそうした能力を存分に持っているアメリカのニューヨークタイムズでさえも、いまや潰れかけている。それほどまでにこのパワーシフトは圧倒的なのだ。
いわんや、経営の素人がママゴトのように経営してきた日本の新聞社やテレビ局が勝てるはずがない。
『2011年新聞・テレビ消滅』は、このパワーシフトがどのようにして起きているのかを、徹底的にビジネス的見地に立って書いた。この本の中では新聞やテレビの社論や記事の劣化とか、そういう言論的な問題はいっさい取り扱っていない。ただひたすらビジネスとテクノロジーの観点に立って、なぜ日本のマスメディアが消滅せざるを得ないのかを問い詰めている。
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