そのくせ、國崎真実という娘がここに住むことに関して反対はしなかった。
いいじゃないですか、まだ二十代の小娘なら、ホリーさんにしてみたら孫みたいなものでしょう、それくらい年が離れてたらいっしょに暮らしたって火傷はしない。それにその若さなら、ちょっとやそっとでくじけない。
宇城はたぶん、人を殺していると思う。
あんたやっぱり人を殺しているでしょうとたまに思いだしたように言ってやると、ああまたはじまった、ホリーさん、何度も言いますけど、それは幻ですよ、あたしは人殺しじゃありません、殺してた可能性までもは否定しませんが、あたしは殺さない道を通ることができたんですよと、しれっと返す。
宇城の言い分はこうだ。
誰しもそういう、人殺しくらいする羽目に陥る可能性は十分にあって、それはいわば落とし穴のようなものにすぎない。落とし穴のある道を通れば誰でも簡単に落っこちるし、その道を回避できれば落ちずにすむ。そんなのはしかし、紙一重の選択で、ホリーさんが秘書として雇ってくれたから、自分はたまたま凄惨な道を行かずにすんだ気がするのです。だから感謝しているのです。
だれを。
いったいどういう理由で。
その質問には答えない。
まあ、いい。宇城を救ったのならそれで。
宇城とは二十年ほど前、講演会に行った先の、さる地方都市の市民会館で出会った。そこの事務員だった宇城が、世話係として、控え室に弁当を運んできたりお茶を淹れてくれたり、挨拶に来る人々をさばいてくれたりしたのである。ひっつめた黒髪に事務服を着た地味な女だった。ああ、この女、人を殺してるわ、とその時すぐに思った。理由はなにもない。ただの思い癖みたいなものだ。なんでいきなりああいうことを思うのかわからないが、時折そういったことが確信的に頭に浮かぶ。そういう時はそれだけですまない。浮かんだものに気をとられ、意識を集中していると、そのうちに別の景色が見えてくる。次から次へと。宇城の場合、まずはじめに見えたのは、彼女が、うちの風呂場で、長い柄のモップを使って掃除しているところだった。あの面倒くさい風呂掃除。あれ、やってくれるのか。やってくれたらいい。と思っているうちに、他の景色も見えだした。驚くほど鮮明だった。それでまあ、声をかけてみたわけだ。うちで働かないかと。
亭主が家を出ていったばかりで、スケジュール管理や、契約書の整理や、電話の応対といった秘書的な雑用をしてくれる人間がちょうど足りなかった。ついでに言うなら家事の助けも欲しかった。家政婦だけでは心許(こころもと)なかった。人を探していたわけではないが、来てくれるのなら来てほしい。
いいですよ、と宇城は言った。なんと思いきりのいい女だったことだろう。その場で宇城は即決した。
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