森和木ホリーの屋敷は大きかった。
目の前にして少しひるんだ。
生きてる世界が違う。
全然違う。
キャスター付きスーツケースを握る手が震えた。
頬をひきつらせて、ちょっとやっぱり、このお話はなかったことに、と言いかけたら、鏡味氏が先に、ふん、と大きく鼻を鳴らした。
まったく、なんでこんなばかでかい家を建てたかねえ、ってここへ来るたび毎回おれは思うね、おまえも思うだろ。
石造りの門の向こうに背の高い杉のような木が見える。まるで神社ですね、とつぶやいたら、神社? と鏡味氏が眉間に皺を寄せ、神社には見えんが、とあっさり否定した。
インターフォンを無視して門扉を開け、勝手にずんずん入っていく。
おら、見てみろ、あのてっぺんの風見鶏。よーく見てみろ、風見鶏だけど鶏じゃないだろ。錦船に出てくるチャーチル。あれだよ、あれ。一応、あれ、チャーチルのつもり。特注品。ああいうところがいかにもジュニア小説の女王様らしいよなあ。ここを建てた頃、旦那と二人暮らしだったんだぜ、子供もいないのに、よくもまあ、こんなでかい家を建てるよなあ、っておれは思ったね。あの頃おれはまだ二十代。ホリー先生は四十代。当たりに当たってた頃だから、ようするに金の遣い途(みち)がなかったんだろうな。なんかでも、どっかこう、ちぐはぐな屋敷だよ。中に入ったらわかるけど。統一感がないっていうか、ホリーさんの頭の中のぐちゃぐちゃさが家になっちまったって感じ。仕事の合間に思いつきであれこれやったからだろうな。この家の風呂場なんてみてみろ、びっくりするぜ。風呂はとにかくでっかく、って注文したらしい。十何畳もの風呂を作りやがった。あの人、ものの大きさがわからないんだろうな。設計士の案を鵜呑み。施主が大きくっていうんだから大きくしときゃ、いいだろうって、たたき台のつもりで出しただけだったのにそいつが採用になって面食らった、って後になって設計士が言っていたそう。まさに、ちょっとした温泉宿の風呂。さすがに温泉は掘らなかったけど、毎日風呂入るだけで、いったいいくらかかるやら。ああ、もったいない。
玄関の扉は、木だった。焦げ茶色の分厚い木。
右手にあるチャイムを鏡味氏が、叩くようにして鳴らした。
鏡味氏が、出来る編集者なのか、そうではないのか、じつはよくわからない。
森和木ホリーの担当をし続け、とくに出世もせず、守備範囲も広げず、現場一筋で、じき定年を迎えようとしている。定年後も、森和木ホリーの担当だけは嘱託の立場で続けるのだそうだ。それはすでに決定済み事項なのだそう。
気難しい彼女の機嫌を損ねず、最盛期にコンスタントに作品を書かせ、しかも他社の編集者をことごとくブロックし、人気シリーズの原稿はひとつもよそに渡さなかった。まさに鏡味氏の手柄だと社内的には高く評価されているらしいが、とはいうものの、他の作家の機嫌はしょっちゅう損ねていたそうだし、彼女の作品ほどの超ヒット作を他に作れたわけではないので、単純に評価してよいのか判断が分かれるところだ。実際、力はあるのだろうけれど価値観が独特でついていけないという声は聞くし、変わり者の編集者であるという噂もたびたび耳にする。つまり実力の程が掴みきれない人物なのである。新人賞で彼に見出された身としては、彼の力量を信じたいところではあるのだが。
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