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〈特集〉桐野夏生の衝撃<br />私の好きな男

〈特集〉桐野夏生の衝撃
私の好きな男

文:桐野 夏生 (作家)

出典 : #本の話
ジャンル : #随筆・エッセイ

3 伊藤整『氾濫』

『氾濫』は残念ながら、現在絶版になっています。昭和三十一年から「新潮」に掲載されたもので、風俗や倫理観なども古いのですが、古い分だけ男の身勝手がわかりやすく、大変面白い小説です。

 主人公は五十代の真田佐平。技術者上がりの会社重役です。下町の小さな借家に住んでいましたが、重役になって杉並の洋館に移ってまいります。この頃から、地味だった妻も一人娘も、重役夫人、重役令嬢へと変貌を始めます。真田は妻と娘の変貌に驚きながらも、会社重役だけでなく、大学教授という名誉もほしい、と思います。

 もう一人の主人公は元華族の久我象吉。真田が得たいと望む大学教授という名誉職でありながら、没落華族ですから、あまりお金はない。常に、人を紹介した謝礼金をあの会社からいくら貰おう、などと考えているような人です。

 真田はそんな久我に実は劣等感を持っています。「真田佐平は、久我象吉の地位を羨んだというより、その生まれを羨んだのだった」とあります。つまり真田は、もしかすると「所有」できそうな大学教授の地位よりも、自分が絶対に得られない「生まれ」、家柄を羨んだのです。

 どうですか。とても生々しい「所有」の話ではありませんか。この小説の中には、男の「所有」に関する欲望が、つぶさに、馬鹿正直に、そしておそらくは無自覚に書かれています。

 真田は幸子という女と付き合っています。幸子に「あなたは浮気のつもりなんでしょう」と言われ、彼はぐっとつまります。彼は「純粋な恋愛と考えていたものは、純粋な浮気だ」と知っているのです。真田が落とした家族の写真を見て帰ってしまった幸子に、真田は失望し、軽蔑さえします。

「この女もまたすべての女たちと同じように、家庭というカラの中に入って、単なる女でなく、妻とか母というものになるのでなければ自分の本当の幸福はあり得ないと信じ込んでいるのだ。」

 この箇所は、まさしく男の「所有」と、女の求める「関係」のすれ違いです。男は家族を所有し、愛人との純粋な恋愛も所有したい。女は「純粋な恋愛」ならば、「関係」もまた純化されたものでなければならない、と思います。男はそれを、女がシステムに入りたがっている、制度を求めている、と忌避しようとする。それは全くの誤解なのです。行き違いに近いくらいの相反する指向性なのです。

『氾濫』は、すべてがこのような、男たちの身勝手とも見える「所有」欲と、「関係」を求める女との闘いに明け暮れています。「関係」を求める女に、「所有」したがる男は応えることができず、その捩(よじ)れが、次なる「所有」に結びついていく。この回転に嵌(は)まり込んだ男は、永遠に抜けられない。その悲劇と滑稽さがよく描けている小説です。

4 谷崎潤一郎の健全

 文豪・谷崎は、生涯三度の結婚をします。二十九歳の時、石川千代子と最初の結婚をします。「妻譲渡事件」が起きるのが、四十四歳の時です。千代子と佐藤春夫を結婚させる旨の手紙を、三人連名で知人に出したことから起きる騒動です。

 翌年、谷崎は古川丁未子(とみこ)と二度目の結婚をします。谷崎は丁未子を連れて関西を旅行し、同じ年に大阪の豪商、根津清太郎の夫人、松子と出会います。そして、四十八歳の時、離婚し、松子と同棲を始め、翌年結婚します。日本において、これだけ離婚・結婚を繰り返した作家は珍しいのではないでしょうか。

 あの、フェティッシュで耽美派の谷崎が、と意外に思われるかもしれませんが、関西に移住してからの谷崎の小説は、ほとんどが婚姻関係について書いているのだ、と私は最近気がつきました。

 例えば『痴人の愛』は、ナオミという小悪魔的な女に河合という男が振り回される小説です。河合は当時月給百五十円のサラリーマンで、ナオミとは結婚しているのです。妻に振り回され、月給を使い果たしてダンスホールに連れていかれて、妻の男友達に紹介されて、「あんたはその辺で遊んでなさいよ」「なんて冷たい女なんだ。でも好き」――幸せじゃないですか、こういう結婚生活をもてる男の人は。ちょっと蓮っ葉な、遊び好きの可愛い妻をもった男の話なわけです。

『細雪』は、私は二十代で読もうとして挫折してしまいましたが、今読むと大変面白い話です。これも婚姻小説です。

 主人公の貞之助が四人姉妹の次女である妻と結婚しているという婚姻、さらに未婚の二人の妹をどこに嫁がせるかという、見合いの算段の話でもあるわけです。婚姻とは、ある意味では、この娘にどれくらいの生活をさせることができるか、どのくらいの男を相手にお嫁に行かせることができるかという、非常に真剣な経済行為だったわけです。

 昔は恋愛はそれほど自由ではないし、女にとって婚姻は「就職」であり、夫との間で長い長い人生がはじまる、欲望が閉じ込められた箱なのです。そこで男と女が何を考えて、どういう関係を結んでいくか、ということを、谷崎は書き続けました。谷崎にとって、婚姻は非常に面白い秘密の箱だったのだと思います。

 しかも、谷崎は一貫して、貞女というものを書いていません。女の欲望を肯定し、それによって、男が変貌する様を書きました。そうして、谷崎はより大きな存在になっていったのです。

 男が「所有」する性、女が「関係」を求める性。谷崎は、おそらく、好きな女と一緒に暮らすうちに、そして離婚と結婚を繰り返すうちに、それを納得したのではないかと思います。

 あるいは、谷崎にも女性的な面があったのかもしれない。作家は両性具有の目を持っていなければ非常に優れた作品を生み出すことはできないのですが、だとすれば、谷崎はやはり凄い小説家ではないでしょうか。

 今日は、男くさい作家・伊藤整と、両性具有の目を持った作家・谷崎潤一郎、二人の話をいたしました。

「私の好きな男」、それは両性具有の目を持った谷崎潤一郎なのです。私も少しは近付きたいと思います。

(本稿は十一月二十日にホテルオークラで行われた講演を抄録したものです)

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