田中澄江さんは「野の花、山の花」というエッセイでこう書いている。
《私の思い出の中にいちばん鮮明に浮かび上がってくるのは、人間や事件よりも花なのである。それも野や山に咲いている自然の花たちである。/決して栽培種の花たちではない。だれの世話にもならず踏まれても抜かれても、新しく芽を出し、種子が飛んで別の土地から、親と同じ形やいろどりに咲く野生の花たち。/その面影が、あの山、この岡、その野のほとりの、あちらこちらに、生き生きと香り豊かに、またいろあざやかに咲き続けている。》(『旅は道連れ』所収)
好きで好きで、花への愛おしさに溢れる一文。『花の百名山』は、まさにこの思いが結晶した一冊である。
一九六七年、還暦を翌年に控えた著者は日経新聞「あすへの話題」欄に「友を求む」と書いた。山が大好き。でも気力体力、山での安全、家庭の事情等々を考えると、頻繁にひとりで出かけるわけにはいかない。ついては五十歳以上の女性が集まって、一緒に山に登りませんかという呼びかけだった。結果、百余名が参加。初登山にちなんで「高水会」と名付けられたこの会は、二〇〇〇年、著者逝去の直前まで続いた。
本書での「山の仲間」は、この高水会のメンバーである。おばさん集団に同行する少数の常連男性として、山岳写真家・三木慶介氏がいた。三木氏の回想によれば、山選びの目安は、ひたすら花・花・花。行先の相談をすると、必ず「三木さん、○○の花が○○山で咲いてるわよ」「○○の花の季節ね、○○山はどうかしら」と言われたそうだ。「現地での澄江さん」は、最初真ん中あたりを歩いている。そのうち疲れてきて最後尾に。おまけに花があれば立ち止まって観察しスケッチするので余計に遅れる。しかし途中で引き返すことはなく、どうしても山頂まで行きたいと言い張った。ヘビとクマと雷が大嫌いで、「先生、クマが出ますよ」「雷が来そうですよ」と言うと、普段の三倍くらいのスピードが出る。「急に元気になっちゃうから、本当はさっさと歩けるのかもしれないね」とは三木氏の弁である。
百名山と聞けば、誰しも二冊の本を思い浮かべるだろう。深田久弥の名著『日本百名山』と本書である。だが、「深田さんと私(田中澄江)には共通点がある。肥満型のからだと酒好きである」(『沈黙の山』)とはいえ、共通点はそれくらいで二冊の本は好対照をなしている。
深田久弥は百名山の選定に三つの基準を設けていた。(1)山の品格。(2)山の歴史。(3)山の個性。附加的条件として(4)一五〇〇メートルを超える山の高さである。実際、『日本百名山』の平均標高は二二七五メートル。一〇〇〇メートル以下の山は筑波山と開聞岳のふたつだけだ。『花の百名山』平均標高は一七〇〇メートル弱だから、六〇〇メートル近く差がある。海抜一〇〇メートルに満たない豊橋・葦毛湿原をはじめ、一〇〇〇メートルに届かぬ山は二十山を数える。要するに高さにはこだわらないのである。
それは客観と主観の違いだと言える。深田久弥は自分の好みを極力排し、大方の登山家が納得する百名山を選ぼうとした。『日本百名山』の「後記」には「よく私は人から、
どの山が一番好きかと訊かれる。私の答はいつもきまっている。一番最近に行ってきた山である」と記している。皇室ではないがフェアネスがモットーなのだ。読者もまた厳正中立を求めている。深田が百名山に故郷石川県の荒島岳を選んだとき、「贔屓(ヒイキ)」ではないかと異論が出たほどであった。
田中澄江さんは違う。「もしも一番好きな山はと聞かれたら、黒部五郎と答えたい」「好きな花をたった一つえらびなさいと言われれば、私はナデシコをあげる」「私は春の山が一番好きである」と、好みをきっぱり主張する。自分が感動すれば、どの山を選ぼうと気にしない。「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」(『論語』)という言葉があるが、本書の基調は「好き」。好きだから知りたい。好きだから楽しみたい。読者も著者の「好き」に共感し感染していく。「好き」を徹底していけば論語に言う「楽しみ」が来る。むろんそのためには、それなりの労苦を支払うことが必要だ。だからこそ、山頂が楽しみのピークとなる。著者の頂上へのこだわりには、楽しみに至るそんな思いがあったに違いない。
世に山好き、花好きはごまんといる。しかし『花の百名山』は田中澄江さん以外に書けない。早い話、かなりの登山家でも高山植物の名を立ちどころに百種あげるのはひと仕事であろう。実物を見て、正確にその名を言い当てるのはさらに難しい。索引にあるように、『花の百名山』に登場する花と樹木は全部で八二四種。単純に数だけでも驚嘆に値する。決定版と言われた『山溪カラー名鑑 日本の高山植物』(七〇〇頁)に収録されている全国の高山植物総数は九五三種。『花の百名山』は樹木や野の花にも触れているが、主要な高山植物はほぼ網羅されているわけである。ちなみに、『日本百名山』における花(と樹木)の記述は、ざっと数えて四四種。比較にならない頻度である。
「草花の詮索よりも、登るに従い展(ひら)けてくる眺望に心を奪われ」と自ら書いているように、深田久弥にとって花は背景のひとつだった。
田中澄江さんには虫の目と鳥の目があった。
一九三〇年東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)を卒業、聖心女子学院の教師(歴史・地理)を務め、劇作家・田中千禾夫(ちかお)氏と結婚し退職した。教師は辞めたものの、
《東大内に組織された歴史地理学会のメンバーとなり、牧野富太郎さんの「植物同好会」、鳥居龍蔵さんの「武蔵野学会」にも入って、史跡探訪、新学説の発表会、植物研究にもはげんでいた。慶應義塾大学で行われていた折口信夫「源氏物語全講会」にも出ていた。夫は一つも私を、自分用に拘束することがなく、自分は自分の書斎で執筆し、又、新劇の演出に出かけた。》(『夫婦で六十二年』)
錚々(そうそう)たる師の元での、こうした勉学の蓄積が『花の百名山』では自在に生かされている。好奇心は持続し、七十歳を越えてなお「はじめての花にあうと、未知の世界にであった思いで心が晴れ晴れとする」のである。
「私は葉にぼってりとした厚みのあるフユノハナワラビが好きだ」「淡雪のようなほのかな白さで、コバノトネリコの花が咲き競っていた」「空の青さが、群がり咲くキンコウカの花の黄に染まって、緑めいて見える」……ひとつひとつの花に寄り添い、色や形、香りや手触りを慈しむ。これを「虫の目」と言うなら、「鳥の目」もある。「いま・ここ」から飛び立ち、「いま・ここ」を俯瞰(ふかん)する目である。時間を遡り、イザナギ、イザナミの神話から古典文学、近代詩歌まで縦横無尽。鎌倉・戦国時代の武将たちの物語も随所に顔を出す。いっぽう空間的な「鳥の目」――地形、地層、地誌についての指摘は、悠久の時間を受けて人工衛星みたいに「いま・ここ」の場所を俯瞰している。たとえば諏訪湖を真下に眺める守屋山の項を読めば、著者が知識としてでなく実感として、鳥の目による風景を味わっていることが分かる。
初版刊行から三十七年、人は変わっても山と花は変わらない。本書には山の心、花の心がある。初版編集に関わった者として、文庫新装版を喜びたい。
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