非常に大雑把な話になるが、「ツツイ・ワールド」の物語空間はおおよそ二つの極の間を揺れ動いているように見える。一方に「超SF的」な極があり、他方に「偽民俗的」ないし「偽土俗的」な極があり、それぞれに向かうヴェクトルの緊張・調和・反撥の力学に沿って空間が構造化されている。そういうことなのではないか。
ここで「超SF的」と呼ぶのは、初期には端的に「SF作家」というレッテルを貼られ、恐らく作家自身にもそういう自意識がないわけではなかったはずの筒井康隆だが、今日の視点から彼の作品史を眺め渡すとき、「SF」らしい「SF」など彼は一作たりとも書いていないという事実が改めて浮上してくるからである。何より「SF」の「S」、すなわちサイエンスが筒井康隆にはない。もちろん、クラーク、アシモフ、ハインラインらが輩出した一九四〇年代以降の「科学主義」的な「SF」──主に天文学と物理学の知識をしこたま詰め込んだいわゆる「ハードSF」ばかりが「SF」であるわけではない。「SF」とは Science Fiction ではなく Speculative Fiction の謂いだと主張した六〇年代の「ニュー・ウェーブ」、コンピューター・サイエンスと生物工学に軸足を置く八〇年代の「サイバー・パンク」等、ひと口に「SF」と言ってもそれは進化の過程で多種多様な姿を見せており、その中にはジャンル的にはむしろ「ファンタジー」に近いものも含まれる。
ただし、この現実世界を律する物理法則や科学的な所与の蓄積を根拠として、一種の「外挿法」によってそれを日常的な感覚世界の外部(宇宙なり未来なり)に適用、投影、拡張することによって創造された物語空間をとりあえず「SF」と呼ぶならば、筒井氏の作品はいささかも「SF的」ではない。恒星間飛行の果てに遭遇する地球外生命体だの、テクノロジーが飛躍的に進化した未来社会のありさまだのをめぐって彼が科学的に厳密な想像力を行使し、それをリアリスティックに描き出そうと試みたことなど一度たりともないのである。
たとえばH・G・ウェルズ以来の「SF」の常套的主題(トポス)の一つである「タイム・マシン」に、彼がどれほど“おちゃらけた”アプローチをしているかを知るためには、最初期の掌篇「笑うな」を読んでみればいい。
おれは、やっとのことで笑いを押さえ、吹き出しそうになるのをけんめいにこらえながら、訊ねた。「すまん。もういちど言ってくれ。なんだって」
斉田は照れて、掌で机の表面をごしごしこすりながらいった。
「あの、タ、タ、タイム・マシンを発明」
「ワハハハハハ」おれは腹をかかえた。
「ワハハハハハ」斉田も、気ちがいのように笑いはじめた。(「笑うな」)
「SF的」なステロタイプに凭れかかろうとする「SF作家」の羞恥心じたいを前景化したこの「ワハハハハハ」によって、筒井康隆の物語は「SF」の規矩をはみ出し「超SF」的な領域に突入する。あの美しい短篇「たぬきの方程式」などもむろんその好例の一つだし、小松左京の「ハードSF」のパロディとして書かれた「日本以外全部沈没」も同種の志向の産物であろう。物語の趣向としてはハインラインの『宇宙の戦士』やそれに先行するスペース・オペラの諸篇を想起させる恐るべき傑作『虚航船団』にしたところで、科学データの利用によって物語にリアリティを担保しようとする配慮などかけらもなく、むしろラテンアメリカ文学的なマジックリアリズムの手法による「SF的」な紋切り型の解体が目論まれているさまは、壮観ですらある。人間もどきの文房具たちを乗組員とするあの監獄まがいの異形の恒星間スペースクラフトが横切ってゆく宇宙空間は、「SF的」というよりむしろ「超SF的」なのである。
さて、しかしその一方、「熊の木本線」「遠い座敷」「エロチック街道」「谷間の豪族」「ヨッパ谷への降下」などめざましい短篇群に見られる通り、筒井氏の想像力の行使に一種特異な「民俗的」ないし「土俗的」空間への固執が感知されることもまた明らかだ。現代社会の理性の光が届かないフォークロアの闇に、禁忌や郷愁、暴力やエロスの劇が仕組まれることになるのだが、ただちに断っておくべきは、これらが実はことごとく「偽民俗」「偽土俗」の空間であり、そこでいかにもなまなましく描写される地誌や建築や習俗はすべて想像の産物でしかないという点である。物語空間が非理性の闇に鎖(とざ)されているとしても、それはむしろ、「偽フォークロア」めいた相貌をまとった作者自身の精神の暗部の表象と見るべきだろう。
要するに、一方で「SF」ジャンルの約束事を借りつつそれを解体し、他方で「フォークロア」的想像力の迫真感を借りつつそのまがいもの性を誇示し、最終的にはナニガナニヤラワカラナイという脱力感のただなかに読者を取り残すものが、筒井康隆の小説なのである。「超SF」も「偽フォークロア」も結局は、この現世の凡俗な現実をぶち壊し、ここはどこか、今はいつか、読者の意識を攪乱させ異次元空間のただなかに迷わせるための物語装置と言うべきものなのだ。
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