一度だけ、喜和子(きわこ)さんといっしょに国際子ども図書館に行ったことがある。
彼女が新しくなったあの建物に足を踏み入れたのは、たった一回のことだ。
もちろん、わたしの知らない間に行っていないともかぎらないけれども、行く前にあれだけ拒否していて、行ったあとも「また行く」とは言わなかったから、あれが最初で最後である可能性は非常に高い。
喜和子さんと会うのはそう頻繁ではなくなっていたけれど、たまたま上野の美術館の展覧会に行く予定があって、久しぶりに会ってみたくなり、わざわざ葉書を出したのだった。夏の暑い時期で、熱中症を起こしそうな天気が続いていたから、喜和子さんの家や炎天下の公園はやめて、建物の中で会いましょうと書いて送ったら、
「じゃ、上野の図書館の中で」
という返事が来た。
その夏、国立西洋美術館で開催されていたのは、コローの展覧会だった。ルーブル美術館から「モルトフォンテーヌの思い出」「青い服の婦人」「真珠の女」という名作が貸し出されていて、鳴り物入りで宣伝していた。たしか、いっしょに行かないかと最初の葉書で誘ったはずだけれど、喜和子さんのほうは興味が持てなかったのだろう。
展覧会場を出て藝大のキャンパスを横切り、図書館のほうへ曲がろうとすると、交差点の角のコンクリートの建物の前で、喜和子さんは腕を後ろに組み、じっと立っていた。
「喜和子さん」
声をかけると一瞬びっくりして、あらやだとかなんとか言いながら彼女は振り向いた。「早く着いたなら、建物の中で待ってたほうが涼しいのに」
と、わたしが言うと、彼女はちょっと唇を尖らせて不満の意を表明した。
「だって、いまとなっては、こっちのほうが懐かしいんだもの」
「こっちって?」
「これこれ」
そこにあるのはなんだか国会議事堂を小型にしたような、頭のてっぺんに四角錐を載せた倉庫めいた建物で、そういえばいつも側を通るときに気になってはいるのだが、改めて何なのか考えてみたこともなかったものだった。
「なんですか、これ」
「あら、知らない? 駅よ、駅。博物館動物園駅って京成電鉄のね、上野と日暮里の間にあるの。ついこないだまで使ってたわよ。十年くらい前かな、やめちゃったのは」
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