- 2017.10.25
- 書評
昭和史の真実を知るために、当事者たちの証言をどう読むか?
文:保阪 正康 (ノンフィクション作家)
『テロと陰謀の昭和史』(文藝春秋 編)
ジャンル :
#政治・経済・ビジネス
同時代史の証言は、こうした微妙な心理を伝えている点に特徴がある。あえてもう一点つけ加えておくならば、荒木貞夫陸相の証言も今となってはおおいに価値がある。菊池寛と直木三十五が、荒木にインタビューを試みたこのころは、荒木のもっとも権勢を誇っていたときで、しかも青年将校らの信望も集め、いわば皇道派としての重鎮の地位にあった。それだけにこの折りの荒木発言は、昭和史を解明するときの重要な役割を担っているといっていい。
荒木は第一次世界大戦時、連合国側に従軍し、戦線の視察に赴いているが、そのときに得た教訓について、「一番の教訓は、決して退却をしないということ」と語っている。さらに菊池らは「戦さで退却するということがちょっとでも頭に閃いたらば戦さというものはダメです」といった発言を、引きだしている。この考えが昭和陸軍の落とし穴だったことは今では明らかになっている。私はこのような発言を知って、昭和十年代の日中戦争、そして太平洋戦争を主導した軍事指導者たちとまさに同じ内容なのに驚いた。同時代史の証言は、こういう構図を改めて教えてくれる。
もうひとつのタイプは、戦後になっての回想であり、自省である。この証言は、当事者、あるいは当事者の世代からみると、歴史的な意味をもっている。今にして思えばこういう間違いがあった、あるいは今考えたとしても誤りではなかったといった証言は、それ自体、戦争(とくにテロや謀略)に関わった人たちの歴史的意味を含んでいるといってよかった。
同時代史の証言よりは、冷静さも計算もあり、歴史上の見方という特徴をもっている。それだけに死者を責めたり、必要以上におとしめたりとのケースもある。私たちは戦後の証言には、結果論から見る当事者たちの言い方が多いとの諒解点もつくっておかなければならない。本書の中で戦後の証言として注目されるのは辻政信の石原莞爾論である。辻は石原を内心では尊敬していたが、とくにその満州論には感服していたこともわかってくる。もっともそうした尊敬があったなら、石原の説く戦略に協力してもよかったはずなのに、昭和十年代に辻はそれほど石原の側に立っていない。
むしろノモンハン事件(昭和十四年)、シンガポールでの虐殺事件(昭和十七年)を始めとして、その強引な性格と独善的な戦術は、日本軍のマイナスともいえるほどであった。その辻が石原を称揚したあげくに、「私が石原将軍に遭わなかったら、終世強権思想、侵略主義の俘囚となり果てたであろう」と書いている。辻は歴史的立場に立ったときに、自らの軍人生活を「強権思想」「侵略主義」の権化でなかったと意味づけているところが考えさせられる。
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