- 2017.09.27
- 書評
“お友達”官邸主導ナショナリズムは、まるで参謀本部だ
文:半藤 一利 (作家)
『ナショナリズムの正体』(半藤一利・保阪正康 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#政治・経済・ビジネス
「戦争とはウソの体系である」という言葉がある。何の本で読んだのか、教えてくれた人がだれであったか、まったく忘れてしまったが、ときどきフッと頭に浮んでくる。わたくしが物ごころつくころ、この国は戦時下にあった。中国侵略戦争からはじまって、やがて太平洋戦争へと突入していく。挙国一致、八紘一宇(はっこういちう)、暴支膺懲(ぼうしようちょう)からはじまって、自存自衛、ABCD包囲陣、撃ちてしやまむ、鬼畜米英、と、いま歴史を丁寧に学ぶと初めからウソの体系のなかに組みこまれてわたくしは成人してきた。新聞に書いてあったとか、大人たちが共通して言っていることはほとんどが本当ではなかった。
戦争が降伏で終結して、そのことを嫌というほど学ばされたわたくしは、二度と騙されまいとするならば、何事もやっぱり自分の目で見、自分の頭で考えなければいけないと、真剣に思うようになった。前にも書いたことがあるが、昭和二十年(一九四五年)三月十日朝、自分の家のあった惨たる焼け跡に立ち、まわりにいくつもの真ッ黒になってもはや人間とは思えない焼死体を見ながら、なかば呆然としつつ「もう生涯、“絶対”という言葉を使わないぞ」と思ったのは、二度と騙されないぞというそのことへの強い決意であった。いらい、そうやたらにものを信じない。まず疑ってかかるという意識ができて、八十七歳になるまでともかく無事に生きてきた。
その老骨が、いまの日本国のあり方にはホトホト呆れかえっている。特定秘密保護法、集団的自衛権を行使できるようにする安全保障関連法、改正通信傍受法、共謀罪など国家の根幹にかかわる法案の、このところの無茶苦茶な採決は、いったいこれが主権在民の民主国家のやることなのであろうか。いったん法案が提出されれば、それがいかなる内容であろうと、担当大臣が質問にきちんと答えられず、ただはぐらかすだけであろうと、その法案の真実を明らかにするために不可欠な公的文書が「作成していない」「廃棄して存在しない」とそっぽを向かれようと、ときにその文書が公表されると徹底的な論議もせず、文書の正当性や内容についての信頼性を強引に否定する姿勢で対処されようと、政府によって強行採決されてしまう。しかもだれにたいしても何の責任も追及されていないこの国のこのようなあり方は、わたくしなんかには国際社会に恥をさらし、疑われ、孤立に突き進むだけであると思えるのである。
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