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『穂先の死』安東能明――立ち読み

『穂先の死』安東能明――立ち読み

安東 能明

電子版17号

出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル : #小説

「清掃員が見つけまして」

「時間は?」

「十一時四十分に」

「チェックアウトは十一時ですか?」

「さようです」

「連れはいなかったの?」

 尋ねる筒見に野沢が近寄る。

「はい、昨晩の十時過ぎに、おひとりでチェックインされました」

「正確な時間はわかりますか?」

「フロントの従業員が交代した直後でしたので、十時十分前後と思います」

「そのときの様子はどうでした? 何か聞いてますか?」

「かなり、お疲れの様子だったと担当は申しております」

「そうですか。で、このあたり何も動かしていないですよね?」

 立ち上がり様、筒見は確認する。

「はい、そのままです」

 ドアがノックされ、ジュラルミンのケースを抱えて鑑識係の石橋が入ってきた。さっそく一眼レフを構えて写真撮影をはじめる。そのあと、グレーのフリースを着た眉の太い男がのっそり現れた。刑事課強行犯第五係統括係長の下妻晃。沙月の直属の上司だ。

 チノパンに手を突っ込み、チャラチャラとポケットの中の小銭を転がしながら、恰幅のいい体を窓際に運ぶ。茶色いローファーからは、ちらちらと素足が覗く。パチンコを打ちにでも出かけるサラリーマンの風情。見た目は頼りないが、夜の署長と呼ばれるほど、信頼が厚いらしい。

 ベッドに横たわる死人を気にすることもなく、下妻は窓から外を眺めている。

「あー、お墓ばっかりだあ」

 下妻がおよそ関係のないことを洩らすかたわらで、筒見が野沢に質問を繰り出す。

「このホトケさん、どちらさんでしたっけ?」

「ブリエンツの社長さんです。あ、今は取締役だと伺っていますが」

「ご家族に連絡は?」

「させていただきました。間もなく、奥様が到着されると思います」

 筒見が部屋の中をチェックするように沙月を促した。

 ベッドの反対にあるデスクの上に、充電中のスマホと水が半分ほど残ったペットボトルがキャップを開けたまま置かれている。引き出しをあらためてみるが、聖書と洗濯用のビニール袋以外に入っているものはない。椅子に立てかけられたリュックサックを調べると、ぎっしり中身が詰まっていた。その中には、予備の充電池、サングラス、ヘッドランプ、ファスナー付きのビニール袋には丁寧に折りたたまれた地図やスマホを一回り小さくしたような電子機器も入っていた。

 リュックサックの内ポケットをまさぐると、チャック式の長財布が出てきた。中には一万円札が五十枚ほどびっしり詰まっていた。クレジットカードも七枚はさみこまれている。

 うしろでごそごそ物音がしたので、振り返ってみると、下妻が眉を下げてにやっと微笑みかけてきた。

「これ、探してた?」

 折りたたみ式の免許証入れを手にしている。ハンガーに吊された登山用のアウタージャケットから取り出したようだ。

「四十五かあ」

 と下妻がのんびりと口にする。

 渡された免許証を見る。

 赤木敏和

 昭和四十八年三月二十日生まれ

 住所は町田市だ。

 汚れた登山靴が目にとまる。泥が付いたばかりのようで、上側が乾いて白くなりかかっていた。

別冊文藝春秋からうまれた本

電子書籍
別冊文藝春秋 電子版17号
文藝春秋・編

発売日:2017年12月20日

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