「それではブックガイドにはならないではないか」と言われる、たしかにご指摘の通りであります。でも、ブックガイドだと、まず「ガイド」を読んで、それから「ブック」を読まないと(その逆でもいいですけど)、読書としては完了しないわけです(書評とか映画評と同じで)。でも、本書は「自分が書いた本とそれについての皆さんからのコメントから思いついた別の話」を集めたものですので、これだけ単体でもリーダブルです。ブックガイドとして読もうと思えば読めるし、単独の書籍としても読もうと思えば読める。そういう汎用性の高い作りになっております。
通読してみたら、レヴィナスについて書かれたものが量的に他を圧しておりました。自分で書いたり、訳したりしたものなのに、それに触発されて、改めて次々といろいろなことが言いたくなったわけです。それだけいまだにレヴィナス先生の哲学は僕にとって謎に満ちているということなのだと思います。
ご存じない方も多いと思いますけれど、今僕は「福音と世界」というプロテスタント系の月刊誌に2年ほど前から「レヴィナスの時間論」という論考を連載しています。レヴィナスの『時間と他者』という90頁ほどの薄い講演録があるのですけれど、この難解を以て知られたテクストを逐語的に解釈してゆくという作業を毎月しております。これも「逐語的に解釈」とは言いながら、ある単語でふと足を止めると、「そういえばこんな話を思い出した」という方向にどんどん逸脱してゆくという書き方を採用しております。「そういう書き方をしてもいいですか?」と編集長に最初にお断りして、「思う存分逸脱してください」という寛大なるお言葉を頂いて、そういう書き方をしております。どうも僕はこういう書き方、こういう考え方しかできない人間のようです。
世の中には僕のように、論件を与えられると、それをきっかけにいきなり思考が逸脱し始めるという不治の性癖の人がけっこういると思います。そういう人はたぶん「学者に向かない」と自分では思っているんじゃないでしょうか。たしかに、学術論文を書くときには、起承転結の構造をはっきりさせなさいとか、テクストは全体を俯瞰しつつ、計画的に書かなければなりませんというようなことが論文指導ではうるさく言われますから。でも、僕はそういうことがほんとうに苦手な人間でした。でも、それでもこの年までなんとか学術的なものも含めてさまざまな書き物を出し続けることができました。「そういう知性の働きかたもあっていい」ということで一応世間さまに例外的に活動をお許し頂いているようです。
というわけで、これからもこういう書き方で相変わらず本を出し続けるのだろうと思います。これからもどうぞよろしくお願い致します。
最後になりましたが、オリジナル版の作成にかかわってくださった140Bの江弘毅さん、大迫力さん、ライターの大越裕さん、文庫版をつくってくださった文藝春秋の山下奈緒子さんにお礼を申し上げます。みなさんのおかげでまた本が出せました。ありがとうございます。
2017年10月 内田樹
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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