インタビューほか

岸惠子×磯田道史対談 日本とパリの「愛のかたち」(後編)

オール讀物2018年1月号より

『愛のかたち』(岸 惠子 著)

横浜大空襲でみた光景

磯田 僕がシンポジウムで岸さんに出会う前から、一度お目にかかってみたいと思っていたのは、自分が歴史学者として、時間軸を掘り下げて固定された日本列島の中をずっと見ているのに対して、岸さんほど横の空間軸、つまり世界を見つくした人はいないと思っていたからなんです。僕なんて古文書はたくさん読んでいても、ヨーロッパには二度しか行ったことがない。

 私も初めてシンポジウムでお目にかかる前から、磯田さんが司会をされているNHKの『英雄たちの選択』は毎週楽しみに見ていますよ。日本史はごく大雑把にしか知らないので大好きな番組です。最後のまとめがお上手ですね。

磯田 ありがとうございます。そもそも僕が岸さんに親近感をもったのは、横浜にある大学の書庫に通っていた時代、岸さんのご自宅をタクシー運転手に案内されたことがあったからかも(笑)。ちなみに、横浜では草笛光子さんが同じ高校だったんですよね。草笛さんは、僕の本が原作になっている映画に二本とも出てくれています。

 女学校(横浜第一高等女学校、現・神奈川県立平沼高校)の時代ですけれどね。草笛さんは一つ下で、いまでも親しくて、お雑煮や年越しそばも一緒に食べる仲。でも彼女、芸のことしか話さない。

磯田 根っからの女優さんですよね。

 うちに来ても、こたつの間で一人芝居はじめちゃう。母が健在のころは喜んじゃって(笑)。

磯田 女学校の頃は、どちらにお住まいでしたか。

 空襲で焼ける前は山手公園のすぐ前にあった家に住んでいました。

磯田 あのあたりは、激しい空襲に遭っていますよね。一九四五年五月の横浜大空襲。よく助かりましたね。

 本当に奇跡的でした。あの日の空は真っ青な五月晴れ。朝九時ごろで、父は出かけていて母と二人きり。空襲が始まると、まだ十二歳だったのに「惠子ちゃん、あなたは一人でも大丈夫よね。公園に逃げなさい」と言って、羽根布団をザブッとバスタブに漬けて、私にかぶせました。

磯田 山下公園ですか。

 いえ、山手公園です。「公園の、山手の小学校の講堂に逃げなさい」と。母は一人で寝ている隣家の赤ちゃんを助けに走っていきました。逃げているとき、石段に座り込んだ若い女性がいた。防災頭巾が焼け焦げているので、「逃げなきゃ駄目ですよ」って揺すったら石像のように私の上に倒れ掛かってきた。死体に乗っかられて動けなくなった私を大人が助け起こしてくれて、防空壕に放り込まれました。

磯田 周りに火柱が立っている中を逃げるんですか。

 凄い有様でした。地面が焼夷弾で焼けて靴を履いていても熱かった。逃げ込んだ防空壕は急ごしらえの横穴式で、ぎゅうぎゅう詰め。「私はこんな暗いところで死ぬのは嫌だ」と思って、大人が止めるのも聞かず、焦げている母の羽根布団を脱ぎ捨てて焼夷弾が炸裂する地獄へ飛び出しました。爆弾と爆風で歩けなくなり、夢中で公園の樹に猿のように素早く登りました。そのとき、B29爆撃機より小型の機銃掃射用の飛行機が私めがけて低空飛行でやってきた。パイロットの顔がはっきり見えました。ほんとに阿鼻叫喚の生き地獄の中で、弾は私に当たらなかった。そのときすごい音がして、振り向いたら我が家がお化けのように揺れながら燃えている。それを見て「ああ、宿題やらなくて得をした」と思いました(笑)。

磯田 意外なことを考えるものですね(笑)。

 なんとか小学校に着きましたが、手前の入口でなく、遠く回り込んだ先の入口から入った途端に小学校を爆弾が直撃しました。あたりは黒煙と炎で、目は見えないし、耳が聞こえない。赤ちゃんを抱えた母に会えたのは午後遅くでした。

磯田 それはよかった。安心したでしょうね。

 防空壕にいた人たちのほとんどが死にました。大人の言うことを聞かなかった私だけが助かった。「十二歳、今日で子供を止めよう」と思いました。

 父は翌日、東京からなんとか歩いて帰ってきました。ああいうとき、男って本当に慌てるのだなと思いましたよ。家に骨董品や貴重品を入れるための小さな地下壕のようなものがあったのですが、父は帰るなり、ガラスや陶器に井戸水をかけて割ってしまったのです。

磯田 急激に温度が変わるから……。

 母にすごく怒られていました。蔵が焼けても十日かけて冷ますっていいますよね。うちの父は学校の先生もした人なのにそういう常識はなかったのね(笑)。でも、割れずに残ったものもある。このコップやお皿です。

磯田 おぉ。いかにも古い良いものですね。大正時代かなぁ。

 お皿も安いものだと思います。グラスは母が十八歳の時に買ったといっていました。どちらもまだ使っています。

磯田 え、まだ現役ですか。きちっと作ってあるから壊れない。物をしっかり選んで買っていたお宅だったのがわかります。

 そういえば、パリの家ではヒトラーの家のスプーンを使っていたこともありました(笑)。主人は第二次世界大戦のときに医学生から地下運動に入り、一六ミリでヒトラーの家が燃え落ちるところを撮っているんですよ。

磯田 そうなんですか。それは初めて知りました。

 だから、ナチスのハーケンクロイツの旗を引きちぎってお土産に持って帰ってきたりしているのですが、ちょうどお昼時で使用人の食堂にナイフとフォークのセットがざっと並んでいたのをみて、一人分を持って帰ってきたそうです。それからずいぶん経って、もう大学生になった娘がスープをき回していて、スプーンをよく見ると、ナチスのマークが付いているの(笑)。「あれっ、それヒトラーのマークがついているじゃない」と言ったら、娘は平然と「うん。使った方がいいでしょ」って。

磯田 シャンピさんからすると、戦利品なんでしょうね。お話を聞いていると、フランスの社交界から山手公園の空襲まで、時間も空間も超えて、あらゆるものを見ていますね。さらに、中東社会にまで早い段階で入っている。

 イランでは革命防衛隊で殉教した少年兵の墓地で、写真を撮っていたら手錠を嵌められそうになったし、イスラエルも早い段階で行きました。

磯田 ソ連も行かれていますよね。

 ソ連は全部まわりましたよ。フルシチョフさんの専用機で。

磯田 えぇ! すごい。

 簡単なことですよ。

磯田 どこが簡単なんですか(笑)。

 主人が『ゾルゲ氏よ、あなたは誰?』(一九六〇年)という映画を撮ったのがきっかけです。私がゾルゲの獄中手記を読んで映画化を勧めた作品です。モスクワ映画祭に出品したんですが、なにせソ連のスパイを扱った映画ですから、税関検閲にひっかかって却下されたのですが、在仏ソビエト大使がフルシチョフに直接送ってくれた。そうしたら、「こんないい映画をなぜ上映しないんだ」と。モスクワで二十一館一斉封切したら、ソビエト初の闇の切符が出るくらい大ヒットして、ゾルゲの生まれたバクーの町にゾルゲの銅像が建って、記念切手も発行されました。それで主人と私がソ連に招待され、「ソビエトを全部見ていってくれ」と専用機を使わせてくれました。クレムリンにも招かれて、ウォッカを飲むショットグラスを一つ失敬してポケットに(笑)。

磯田 よく怒られませんでしたね(笑)。

 でも、帰国するエールフランスの中で自慢しているうちに、忘れてきた。

磯田 それはきっと、機内にいたソ連のスパイに、こっそり回収されていたんですよ(笑)。

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オール讀物2018年1月号

2018年1月号 / 12月22日発売 / 定価980円(本体907円)
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愛のかたち岸 惠子

定価:本体1,500円+税発売日:2017年09月29日


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