世界で活躍する大女優と古文書の達人──異色の組み合わせのようで、実は仲良しのお二人。菊池寛賞受賞を祝って、岸さんのご自宅を磯田さんが訪ねた。
磯田 (薔の花束を手渡しながら)この度は菊池寛賞ご受賞おめでとうございます。
岸 ありがとうございます。今日はわざわざ自宅まで来ていただいて。
磯田 今回の受賞は、女優としての活躍はもちろんのこと、作家としてのお仕事も評価されての受賞でしたね。
岸 私、そそっかしいので、この賞をいただく話が出たとき、「エッ、出たばかりの『愛のかたち』が受賞したの」って、勘違いして喜んでしまったの。恥ずかしいほどドジなんです。
磯田 菊池寛賞は人や団体に与えられるそうですね。でも『愛のかたち』は素晴らしい小説でした。僕はこの作品は、岸さんの集大成だと思いました。
市川崑ら多くの名監督とともに、日本映画の一時代を築き上げた岸惠子さん。海外での豊富な経験を生かしたエッセイ、ルポの他、小説家としてベストセラー作品を持つ。この秋には、パリと京都を舞台に男女の愛の姿を描き出す表題作を含む『愛のかたち』(小社刊)を発表したばかり。国際日本文化研究センター准教授で歴史学者の磯田道史さんとは、二年半前に開かれたシンポジウムにお互いパネリストとして出席して意気投合。それ以来、連絡を取り合う仲だという。
今回、菊池寛賞の受賞を祝って、磯田さんが岸さんのご自宅を訪ねた。
京都を再発見
磯田 『愛のかたち』を読み、これはあらゆることの経験から染み出た文章であると感じましたし、何を大事にして生きるか、その価値観にも非常に共感できました。それにいま僕は京都の研究所に勤めているので、大事な場面で建仁寺(京都市東山区)のお坊さんが登場してびっくりしましたよ。
岸 私もびっくりしました(笑)。英国名を名乗る男性主人公の日本人をどういう生まれにしようか思いあぐねているときに、友人が「京都にマンションを借りたからお寺巡りに付き合わないか」って誘ってくれて、最初に連れていかれたのが建仁寺でした。まず二曲一双の「風神雷神図風」に圧倒されて、海北友松の襖絵にも息を呑むほど感動してしまって、三回も行きました。特に「雲龍図」に繊細さと猛々しさを感じて、(そうだ、男性主人公を建仁寺の僧侶の忘れ形見にしよう!)と決めたんです。夏休みに友達まで連れて大勢でやってきた娘一家を連れてまた四回目に行きました。
磯田 建仁寺は、襖絵もさまざまな名作がありますよね。
岸 京都には、十九歳から二十一歳くらいまで時代劇の撮影で通っていましたがお寺なんて行く余裕はなかった。
磯田 京都に着いても、駅と太秦撮影所を行ったり来たりするだけですか。
岸 そうです。当時は娯楽が何もない時代だから、映画は二本立て、三本立てで、一応スターといわれる立場になっても、私はそのころ研究生という待遇だったので、主役をやりながらほかの作品の通行人にも駆り出されていました。ギャラはなく研究費は相手役スターの百分の一くらいだったから使いやすかったのかな(笑)。大船で現代ものを夜まで撮って、そのまま夜行の三等に乗って京都まで行く生活でした。
磯田 三等ですか。それはつらいですね。あの頃のシートは木で硬いでしょ。
岸 そう、私はその三等にちょこんと座ってベッドに横になることもなく、京都についたら髪を結われてすぐ撮影です。でも、京都の撮影に悪いイメージはなかった。みんないい人たちで、映画作りに燃えていたわね。そんな時代でした。
磯田 『愛のかたち』の作中に登場する僧侶の子供の人物造形も自然でその現実的な感触に驚きました。
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