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歴史学者廃業記 歴史喪失の時代

歴史学者廃業記 歴史喪失の時代

文:與那覇 潤

『知性は死なない 平成の鬱をこえて』

出典 : #オール讀物
ジャンル : #ノンフィクション

『知性は死なない 平成の鬱をこえて』(與那覇潤 著)

(初出:Yahoo!ニュース個人内「史論家練習帳」2018年4月6日投稿=契約終了にともない、現在は掲載も終了しています) 

 大学で歴史の教員をしていた際に開設した「史論家練習帳」を、この原稿をもって閉じることにしました。まずは長年更新できなかったことでご心配をおかけした(かもしれない)読者のみなさま、また本稿の掲載にあたって懇切なサポートをいただいたYahoo!ニュース個人のスタッフのみなさまに、ふかくお詫び申し上げます。

 昨秋に、開設時の勤務先を離職しましたので、職業的な意味での「歴史学者」を廃業しているのは自明のことです。それにいたる経緯は、本日刊行となる『知性は死なない 平成の鬱をこえて』(文藝春秋)にまとめたので、ご関心のある方はそちらをご参照いただくとして、最後にこの場をお借りして、より本質的な意味での、私にとっての「歴史」の喪失について記したいと思います。

歴史を語らなくなった識者たち

 歴史学者という肩書で、雑誌に連載を持たせていただいたとき(2012年)、初回の一行目に「歴史というものは、人間の社会にとって、本当に必要なのだろうか」と書きました。当時の職業的に考えると、これは自殺行為なのですが、そのあとも同じ思いがふくらんでゆくだけの数年間だったなと、いまふりかえって思います。

 まだこのウェブサイトを更新していた2014年の春に、総合誌で「安倍総理の「保守」を問う」という企画があり、私もふくめて総勢100名の論者が回答を寄せたことがあります。掲載号が送られてきて驚きました。

 歴史学者もふくめて、圧倒的多数の識者が「保守とはそもそも何か」を語るのです。エドマンド・バークの立場をさすとか、文化や伝統を大切にするとか、極端に流れず中庸を重んずるといった「保守の本質」を紹介したうえで、そういう立派な保守があってほしいですね、と結ぶ。政治哲学者がそのように答えるのは自然ですが、歴史の専門家として知られる人でも、いまはそう答えるものなんだと知って、ふっと意識がとおくなる気持ちがしたのをおぼえています。

 もちろん、そういった本質論(そもそも論)がまちがっているわけではありません。寄稿の依頼としても、「日本は「右傾化」しているのか」と「本来の「保守」とはいかなるものか」のどちらに答えてもよい形式だったので、後者をえらんで回答するのが不誠実だということもない。

 しかし、「正しい保守のあり方」のようなものを、純粋に思想の世界からとりだしてきて、目下の「保守政治」や「右傾化」がその水準に達していない、と批判すればことたりるなら、歴史を参照する必要はなくなります。リバタリアンとコミュニタリアンが両極にくる哲学チャートのようなものを準備して、平面上の「いま、ベストな立ち位置」を探せばすむことであって、過去をふりかえって歴史という「奥行き」をそこにつけくわえることに、さしたる意味はない。

 奥行きということばのニュアンスを、もうすこし具体的にいうと、現時点で私たちがもっている価値観や提示されている選択肢、そういったものの成立事情や背景をしることで見えてくる、相対化の感覚、ということになるでしょうか。どの価値観や選択肢をえらぼうと、歴史の流れにそれらが拘束されていることをしれば、けっして全能感は得られない。そういうわりきれなさ、「過去の影」のようなものですね。

 ひょっとすると私たちは、長らくものごとを「歴史的」に語りすぎてきたのかもしれません。とくに昭和の戦争については多弁をついやしすぎたせいで、たとえば先ほどの雑誌の依頼に「戦争の悲惨さを知っている世代が亡くなっていくことで、いまの日本では右傾化が進んでおり…」といった回答をすると、ベタでダサくみえてしまう。それは避けたいという気分が、有識者のあいだにもあるのかなと思います。

ゼロ戦ブームに歴史はあったのか

 こういうことをいうと、「でも歴史教科書の問題や、中国・韓国などとの「歴史戦」に熱くなっている人は、いまもおおいじゃないか」と反論されるかもしれません。たしかに、あとわずかで終わる平成が「歴史論争の時代」でもあったことは、後世に(学問としての歴史がまだ存続していれば)書かれる文化史の、脚注くらいには残るでしょう。

 しかし、政治的・社会的に「問題」になったときにだけ、歴史のまわりに寄ってくる人たちが、先ほどのべた「奥行き」という意味での歴史に関心をもっているとは、私には思いがたいところがあります。むしろ(左右とわず)自分のなかに最初から「正解」をもっていて、それが異なる人と戦って、排除したい。そういうメンタリティは、むしろチャート上のポジション争いに近い、平面的なものではないでしょうか。

 私が大学に勤めていたのは、「歴史作家」としての百田尚樹さんのブームが頂点に達した時期でしたが、『永遠の0』(2006年、文庫化は2009年)も『海賊とよばれた男』(2012年)も読んでいた同僚は、百田氏の「極右的」な歴史観をしって、本気でおどろいていました。文学を専門とされる方でもです。

 『永遠の0』という小説自体は、とくに特攻讃美でも零戦礼賛でもありません。搭乗者の使い捨てを前提としたメカニックの無意味さや、技術面ですら間もなく米軍機に追いぬかれた事実がえがかれ、あげられる参考文献も航空戦記のほかは、NHKのドキュメンタリーや半藤一利氏といった「無難な歴史観」です。そこからどうして過激な歴史修正主義がでてくるのかと、おどろくのは自然でしょう。

 鍵となるのは、現代の若者(姉弟)ふたりが特攻隊員だった祖父の姿をたずねて、その戦友たちを訪ね歩くという構造の「無意味さ」です。この戦友たちがみなじつに饒舌で、かつどう考えても戦場にいた時点ではしらなかったはずの史実(海軍上層部のようすや、米軍側の事情など)を、延々と「証言」する。つかう用語も現代風ですね。戦前生まれの人物が大学名に「帝国」を入れずに、「東大法学部のトップクラス」と陸大出の参謀を比較したりします(文庫版p202-203)。

 戦友たちが戦後に各種の書籍で戦史を学び、その成果をふまえて主人公に語っているという設定なのでしょうから、やはり平成のベストセラーとなるとともに歴史家のきびしい批判をあびた『少年H』(妹尾河童著、1997年)にくらべれば、矛盾がすくなく構成されているとはいえます。しかし、それなら主人公に自分で勉強させればよい話で、戦中派の証言に仮託する必要はないでしょう。

 「未知の過去をたずねる」形式をとりながら、じっさいにはどの証言者を切りとっても、現代人たる「著者の百田氏の分身」としか出会っていないのが、『永遠の0』に奥行きがない理由です。そして、だから読まれたのです。そこで消費されたのは、歴史というより「現代のある特定の価値観」であり、だからその著者が、異なる価値観にたいして非寛容な人物であることとも矛盾しないのです。

 公平を期すなら、平成の歴史論争で百田氏と正反対の側にいた「左翼的」な人にも、『永遠の0』と同様の擬似巡礼をくりかえすケースはよくみられます。自分がえがいた(その人にとっての)「理想の被害者」にしか出会う気がなく、そのイメージにあてはまる範囲でしか証言を聞かない。2014年に朝日新聞が報道を一部撤回するなど、混迷を深めた従軍慰安婦問題も、そのような人たちに引きまわされた感がありました。

 この、歴史をたずねているはずが、自分にしか出会わない「旅」になるという構成は、文体にもあらわれています。容貌について具体的な描写がほとんどないので、肝心の祖父・宮部久蔵も背が高いことしかわからず、女性の登場人物はただ「美人」だとしか書かれない。読む前から読者の頭の中にある、偉丈夫や美女のイメージを代入して、各自満足してくださいということですね。これも平成を席巻した、ライトノベルやケータイ小説に通じる特徴かもしれません。

政治家に歴史観を求めた不思議な時代

 もっとも、各自が別個にイメージを投影して、じっさいには他の人と食いちがったままばらばらに満足するのは、必ずしも悪いこととはかぎりません。ことに「政治」のように、多様な価値観をもった国民をひとつにまとめることが要求される場面では、そうした技術がむしろ必要とされることがあります。

 戦後50周年にあたる1995年に出された村山富市首相談話(村山談話)は、そのような技法の結晶だったと思います。近現代史を語る部分に「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り」とだけあって、その一時期がいつなのかは語られない。かなり「左」の人であれば、江華島事件や日清戦争から「誤りだった」とみなすでしょうし、相当「右」でも、真珠湾の奇襲攻撃が「誤っていない」と主張する人はまれでしょう。

 村山談話は、このあと「戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって」とつづくため、「わが国」が「植民地支配と侵略」をしたという文言をみとめたくない人びとにつよく忌避され、声高にその見なおしをうたって支持を集める政治家も出現しました。いわゆる、「右傾化」とよばれる現象です。

 しかし、よく考えると政治家に歴史観をもとめる――政策よりも歴史認識のほうが「自分といっしょであってほしい」と感じて支持や不支持を決めるというのは、不思議な現象です。たとえば、「源氏でなく平家を応援する政治家は、国政にふさわしくない」「あんな、関ケ原観のなっていない人が総理大臣だなんて!」という有権者がいたら、かなり滑稽にうつるでしょう。

 これは、極端なたとえではありません。戦前には「足利高氏(尊氏)観がおかしい」という理由で、大臣をやめさせられる政治家がふつうにいました。それがいま、とても奇妙にみえるとすれば、そう遠くない将来、政治家に「日中戦争観」や「太平洋戦争観」を問うていた時代もまた、よくわからないものとして映じる可能性も否定できません。

 戦後70周年の総理大臣談話はご存じのとおり、村山談話に批判的な勢力を代表する安倍晋三首相によって出されましたが、こうした談話の書き方自体は、そこまで変わっていません。「進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました」とあるので、昭和時代になんらかのあやまちを認めていることがわかりますが、そのあと唐突に「そして七十年前。日本は、敗戦しました」とつながって、なにが「誤り」なのかは結局、特定されません。

 「植民地支配と侵略」の文言が、日本を主語としては盛りこまれなかったことをもって、画期的な変化――「右傾化」勢力の勝利とする論評も、その賛否を問わずみられました。しかし、それはほんとうでしょうか。

 「日本は、世界の大勢を見失っていき」、「次第に...「新しい国際秩序」への「挑戦者」となって」、突然の敗戦にいたる安倍談話を読むと、自国が起こした戦争というよりは、むしろ自然災害の犠牲者を弔う文章のような気がしてきます。「わが国」の誤りが(悪い方向にであれ)歴史を動かした、とのべている村山談話とくらべて、「日本」は侵略云々はおろか、物語全体の主語なのかもよくわからなくなっています。

 「日本」というのは(「世界」と同様)、たんに物事が起こった場所の名称にすぎず、荒ぶる地霊かなにかのような、登場人物の力ではいかんともしがたいものによって災厄が生じてしまったので、鎮めるために追悼文を読んでいる。そんな印象をうけるのです。日本という主体を立ち上げて、そのなした行為=歴史への責任を引きうけるというよりは、むしろ主体というもの自体が、すっとなくなってしまうような語り口。

 それは、歴史よりも「神話」の語りに近づいてはいないでしょうか。舞台設定はしっかりしている(安倍談話も、19世紀以降の国際環境については滔々と語ります)けれど、だれが主人公かは最後まではっきりせず、登場人物名を入れかえれば他の部族(=国民)とも相互に交換できてしまいそうな物語の群れ。そうしたレヴィ=ストロースが描いた人類学の世界観に、私たちの歴史認識も溶けていきつつあるのでしょうか。

神話とサブカルチャーに飲みこまれて

 聖地巡礼という用語も、近年はすっかり「人気アニメの舞台になった土地を訪れること」の意味になったようですね。まずアニメの世界観にはまったうえで、頭の中で照合しつつ「ああ、ここがモデルだったのか」と確認するために、現地へ旅行にいく。もちろん、これはなにも悪いことではありません。

 しかし、それが現実の歴史となると、どんなものでしょうか。大学で教えて実感したのは、歴史学者はほんらい、これまで語られてこなかった「新しい歴史像」に出会うために、史資料を読みといたりフィールドに出たりしている。ところが授業の受講者には、むしろ「既存の歴史像」を前提としたうえで、それを「より身近に感じてみたい」といった感覚で、古文書に触ったり史跡をめぐりたがる人がおおいのですね。好きなアニメキャラのフィギュアやグッズを、手元に置きたくなるのと同じです。

 これは、もともとの意味での聖地巡礼になっているともいえます。一見すると一次史料(一次資料)に触れているようでいても、それを新しい歴史像への入り口としてはとらえずに、むしろ自分の頭の中にすでにある歴史(=神話)上の登場人物がのこした「聖遺物」として、物理的な接触を楽しんでいる。よしあしは別にして、それは近代的な学問とは関係のない、各地の部族社会でよくみられる光景です。

 そういう「聖遺物との接触をつうじた神話的な過去のイメージとの交歓」ではだめで、一本、すじの通ったクロノロジカル(年代記的)な歴史観を持たねばならない、という発想自体が、いまふりかえれば特殊なものだったのでしょう。そういう狭義の歴史意識は、地中海沿岸と東アジアの古代文明に固有のもので、たまたまそれらの地域でのちに近代国家が発達したがゆえに、価値ある規範とみなされてきたにすぎません。

 たとえるなら、人類の始原から終末への流れを語る歴史観をもつキリスト教と、そんなものとは無縁な先住民の神話の世界観とのあいだに、ほんらい優劣はありません。前者のほうが「進んで」「知的・体系的に」みえたのは、たんにキリスト教文化圏が軍事技術でほかの地域を圧倒したからであり、そういった植民地主義の時代が終われば、捨てさられてしまっても文句は言えません。

 もはや物語(ストーリー)の流れをたどることに意味はなく、すべてはキャラクターの組みあわせからなるデータベースやゲームになっている。そういう議論が「サブカルチャーの世界は新しいんですね」といった風潮で、流行した平成前半の空気が、いまはなつかしく思い出されます。じっさい、オンラインゲームとタイアップした作品制作の手法が一般化すると、必要なのは無限に着せかえ可能なキャラクターの集合体であって、重たいストーリーの存在はかえってじゃまになりました。

 いま私たちが目にしているのは、そういった変容がサブカル内の「架空世界」のみではなく、現実の歴史をも飲みこみつつある状況ではないでしょうか。文学史的には時系列すら通っておらず、たんに作家名をキャラクターとして借りているだけのアニメが、その作家の記念館で企画展になる。おそらくはそういう仕事をしないと、政治家に「がん」呼ばわりされてしまうのでしょう。大変だな、と思います。

もうひとつの「歴史の終わり」へ

 「歴史の終わり」といったとき、思想的にはことなる2つの意味があります。ひとつはヘーゲル的な終わりで、「もうこれ以上進歩しようのない、最終状態に人類が到達した(すくなくとも、なにが最終状態かは確定した)」という意味。そうした見方は平成の初頭、「冷戦の終焉(自由民主主義の勝利)が、その状態をもたらした」というかたちで流行しました。私が研究者として、何冊かの本で書いてきたのも、こちらの意味でした。

 しかし、時代はそちらを通り越して、むしろニーチェ的な意味での歴史の終わり――「歴史的にものごとを語って、一本のすじを通そうとする試み自体に無理があるのであり、もはや有効ではない」という局面に達してしまった。そうして歴史(的なものの見方)が死滅したあとになにが残るのかは、「永劫回帰」といったぼんやりしたことばでしか説明されていませんが、案外それがいま、私たちの目の前にある光景かもしれません。

 厳密には、ニーチェと歴史との関係は複雑で、自分を圧殺しようとするキリスト教のような「悪しきもの」の系譜をなぞるというかたちでなら、従来とは裏返した歴史を語れると考えていた節もあり、また既存の歴史像の虚飾をとりはらえば、歴史の真実がみいだせると言いたげなところもあります。ああ、その「日本版」なのだな、と納得できそうな、学者や論客の顔が目に浮かぶ方もいるかもしれません。

 そういったかたちで、これからも散発的にわが国の過去をめぐって火花が散ることは、時としてあるでしょう。しかしながら長期的にみて、この国ではもはや歴史というものがゆるやかに壊死していくことは、避けられないように思います。

 それが、私がこのサービスを閉じる理由です。いままで読んでくださった方々、また支えてくださったスタッフの方々に、厚く御礼申し上げます。

単行本
知性は死なない
平成の鬱をこえて
與那覇潤

定価:1,650円(税込)発売日:2018年04月06日

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