「馬鹿馬鹿馬鹿……」
下を向いた志保子さんが、組み合わせていた両手を軽く胸元にやる。と同時に、白い滑らかな下腹部を漆黒のシダが密生して這い上る様に、私は息を呑みました。
「……獰猛、すぎる……」
ほっそりした二の腕に押された乳房がやんわりと寄って、先の梅花が凝り固まっています。さらに雨脚の強くなる夜に、月の光などあるわけもない。そのかわり、護摩壇の炎に志保子さんの梅の花が照らし出されているのです。
「……一体……一体、なんで……」
いくら厄難消滅だか、調伏だかの御祈祷とはいえ、あんなトビハゼ阿闍梨に騙されて、一人の大人の女性が全裸を晒すなどということがあるのか。伊能志保子に、何があったというのか……。
「志保子さん、あんた……」
成道会で初めて見かけたトレンチコート姿の伊能志保子さんの佇まいを思い出し、その姿と今目の前に曝け出された全裸の、あまりのギャップに、激しい眩暈が起きます。現世での必死の祈願をかなえ、利益を招き寄せることこそが密教の本道ではありますが、それをいいことに海照阿闍梨は、一人の美しい女性を全裸にまでしている。
「……海照……あんたこそが、今、願望を成就させようと、している、のだろう……? 違うか……?」
さらに私は折り曲げた人差指の第二関節を噛みしめました。ですが、私には分かっているのです。今度はこの事態に対する怒りや嘆きや絶望からではありません。むしろ私の性的な興奮のせいなのです。
情けない話ですけれども、阿闍梨がどう教唆したのか、志保子さんがいかなる救いを求めているのか、よりも、「もっと、もっと、見せてくれ」とどこかで念じ、もがき、指を噛んでいるのも自分なのです。
なんという愚劣さ。なんという人でなし。それなのに、志保子さんは――。
「ああッ……」
見れば、俯いた志保子さんの横顔の伏せた睫毛には、まだ涙が光っているではないですか。画面をズームで拡大すると、しっとりと涙を含んだ睫毛の先に小さな露が、いくつもきらめいている。濡れた角膜の中で護摩壇の炎が舐めているのも分かります。
あの小さな涙の露一粒一粒の中に、護摩壇で舞い上がる炎や阿闍梨の法衣の背や壁のくすんだ胎蔵界曼荼羅や、あるいは二月堂机の下に隠れている盗撮カメラのレンズの小さな反射も、そのむこう、つまりはこちらの、充血して見開かれた私の目も、すべて宿っているのです。
あの涙が悲しさのせいなのか、悔しさのせいなのか、憎しみのせいなのか、は分かりません。ただ間違いないのは、伊能志保子さんが全裸になって祈祷し、涙を流すほどにすがりたい何かがあるということです。
「……阿闍梨は……一体……?」
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