- 2018.10.02
- 書評
手がかりを提示しながらも真相を当てさせない、最高レベルの本格ミステリ
文:飯城勇三 (翻訳家、書評家)
『赤い博物館』(大山誠一郎 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
本書は二〇一五年に文藝春秋からハードカバーで出た『赤い博物館』の文庫化となります。そこで、今、この解説を読んでいるあなたに、二つの質問をしましょう。
〔Q1〕あなたは元版(ハードカバー版)は読んでいますか?
〔Q2〕あなたは何を期待してこの本を手に取ったのですか?
まず、あなたが元版を未読であり、面白いミステリを期待してこの本を手に取ったならば、その期待を裏切られることはありません。なぜかというと、本書はトップレベルの本格ミステリであり、謎解きの面白さをたっぷり味わうことができるからです。
一方、あなたが元版は未読だが、テレビドラマ「犯罪資料館 緋色冴子シリーズ『赤い博物館』」を観ているために本書に関心を持ったならば、その期待を裏切られることはありません。なぜかというと、ドラマ版は原作を尊重しつつも独自のアレンジを加えているため、比べてみると、実に興味深いからです。
また、あなたが元版を読んでいたとしても、本書を楽しめるに違いありません。なぜかというと、文庫化にあたり、作者はいくつもの加筆をしているからです。もともと質の高かった旧稿が、さらにレベルアップしたわけですから、あらためて読んでみる価値はあるでしょう。
なお、ここではっきりと書いておきますが、以上の文は、解説者が“盛って”いるわけではありません。まぎれもない事実なのです。以下では、その理由を説明しましょう。
どこが本格ミステリとして優れているのか?
本書の収録作は、エラリー・クイーン風の本格ミステリ、つまり、作者が読者に向かって、「あなたも推理すれば真相を見抜くことができます」と挑むタイプに属します。このタイプの作品で作者と読者が重要視するのは、「作中探偵(本書の場合は冴子)が推理に用いたデータはすべて、読者にも事前に提示しなければならない」という点。いわゆる“フェアプレイ”ですね。そして、本書は〈赤い博物館〉というユニークな設定を利用して、高いレベルで“フェアプレイ”を達成しているのです。
その〈赤い博物館〉とは、ロンドン警視庁犯罪博物館(通称〈黒い博物館〉)の日本版。そこに保管してある過去の事件の遺留品や証拠品や捜査資料を使って、女性館長・緋色冴子警視が謎を解く、というのが基本設定です。これはもちろん、フェアプレイの実践に他なりません。なぜならば、この設定の場合、探偵役と読者の得るデータは、まったく同じになるからです。また、当時の事件関係者にあらためて話を聞く場合もありますが、会うのは冴子ではなく部下の寺田なので、その内容は、すべて読者に明かされています。しかも、寺田が関係者にする質問は、冴子に指示されたもの。ということは、読者が「なぜこんな質問をするのか?」と考えるならば、彼女の推理を当てることも可能になるわけです。
フェアプレイを公言する本格ミステリの中には、大量の“重要ではないデータ”の中に“重要なデータ”をこっそり潜ませる、という──正直言ってあまり誉められない──手を使っているものも少なくありません。ですが、本書は違います。作者は「重要な手がかりはこの中にあります」、「この質問の答えは重要な手がかりです」と、読者に宣言しているのですから。まさしく、堂々たるフェアプレイだと言えるでしょう。
ただし、これだけフェアに手がかりを描くと──当たり前の話ですが──読者が早々と真相を見抜いてしまう可能性が高まります。実は、手がかりをきちんと描くこと自体は難しくありません。難しいのは、“読者に対して手がかりを堂々と提示しながらも真相を当てさせない”ことなのです。
そして、作者はこの難題を見事にクリアしています。これから読む人のために、ぼかした表現をすると、
(1)読者が犯人を容疑者に含めないように巧妙なミスリードをしている。
読者が手がかりを当てはめようとするのは、容疑者だけです。例えば、読者に「犯人は被害者の家族の中にいる」と思い込ませて、犯人を“家族とは無関係の人物”に設定すれば、読者は真相を見抜くことはできません。
(2)読者が事件の構図を錯覚するように巧妙なミスリードをしている。
例えば、犯人が誘拐に見せかけて遺産相続者の抹殺をもくろんだとします。この場合、読者が“誘拐事件”という前提で手がかりを解釈しようとする限りは、真相にたどり着くことはできません。
あなたが本書を読み終えたならば、作者がこの技巧をどう応用しているか、チェックしてみてください。おそらく、感嘆の声を上げるでしょうね。
しかし、クイーン風本格ミステリが抱える難題は、まだあります。それは、「誰一人として真相を見抜くことができない作品は出来が悪いと見なされる」というもの。本当にフェアに書かれているならば、どんなに巧妙なミスリードをしても、すべての読者を欺くことはできません。本格ミステリの理想の難易度は、「読者が頭を絞れば(完璧ではないものの)真相を当てることは可能」というものなのです。そして本書は、絶妙なバランスで、この難易度を達成しています。私自身を例に挙げるならば、五作中一作はほぼ正解、もう一作はある程度正解でしたから。
というわけで、これから本書を読む人は、冴子が真相を語る前に、自分でも推理してみてください。そうすれば、各作品がいかにフェアプレイを実践しているか、いかに巧妙なミスリードを実施しているか、いかに絶妙な難易度を実現しているかがわかると思います。そして、読者に挑戦するタイプの本格ミステリとして、本書が最高レベルの完成度を達成していることを実感すると思います。