「学校とか。楽しいか?」
「普通」
「友達たくさんできたか?」
「まあまあ」
「母さんはどうだ?」
「どうって?」
「元気か?」
「元気」
毎朝手を繋いで歩き、夜は一緒にお風呂に入り、ベッドで添い寝をしていた。共に暮らしていた時のまどかは、目に入るものすべてに興味を持つ子どもだった。これはおいしい、あれはきれい、あそこはこわい、ここがすき。けれども今は娘と言葉を紡ぐことすらできない。ロッククライマーが次に挑むべき岩の在処(ありか)を求めるように話題を探るが、どうにも会話が続かない。滑落寸前の一男は、助けを求める気持ちでまどかに訊ねる。
「そういえば発表会……そろそろかな?」
「うん。ひと月後」
「どんな曲で踊るの?」
「亡き王女のためのパヴァーヌ」
「なんだっけそれ?」
「ラヴェル。とってもいい曲だよ」
「こんど聴いておく。練習大変か?」
「大変」ふりかけごはんを半分ほど食べ終わったまどかは、口元をナプキンで拭きながら答える。「でも楽しいよ。バレエ」
去年の発表会に一男は行かなかった。今年は遠慮して欲しい、と妻からはっきりと告げられた。バレエ教室にはなじみの友人も多く、別居の噂もすでに広まっていた。仲が良い家族を装って参加することもできたのだが(そして実際はそういう家族も多いのではないかと思うが)、妻は昔から嘘をつくことが苦手だった。
「今年も母さんは行くのかな?」
「たぶんね。でも仕事忙しいから分かんないけど」
「そんなに忙しいのか……家でさみしくないか?」
「だいじょうぶ」
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