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【冒頭立ち読み】『億男』#5

【冒頭立ち読み】『億男』#5

川村 元気


ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『億男』(川村元気 著)

 うつむいてコップの水を飲むまどかを見ていたら、胸が痛くなった。お金さえあれば、娘にさみしい思いをさせなくて済んだのに。あのとき、借金の肩代わりを申し出なければよかったのかもしれない。でもほとんどの正解は、取り返しがつかなくなってから気付くものだ。

 長身の店員が、じゃがいもの冷製スープを運んできた。食べる? と一男が訊ねるとまどかは小さく頷き、ふりかけごはんを食べながらスープをすすった。そのあとマトウ鯛のポワレや、牛ヒレ肉のステーキなどが運ばれてくるたびに一男は勧めたが、まどかはほとんど口にしなかった。内緒で用意したケーキにもまったく驚かず、サプライズは失敗に終わった。

「誕生日プレゼント、何が欲しい?」

 一男は皿に残ったいちごをフォークで刺すと、そのまま口に入れた。ケーキの生クリームは甘さ控えめで、あっという間になくなってしまった。

「うーん。まだ決めてない」

 まどかも最後まで残していたいちごを食べた。「まどかの顔はわたしに似ているけれど、食べる順番とか口癖はあなたによく似てる」

 妻に言われた言葉を思い出した。

「遠慮しなくていいんだよ。お父さん、まったくお金がないわけじゃないんだ」

「でも返さなきゃ……でしょ。借金」

「まあそれはそうだけど、まどかが気にすることじゃない」

「……別に欲しいものなんかないよ」

「そっか……じゃあ見つかったら買おうな」

 まどかは頷きながら“Happy Birthday まどか”と描かれたチョコレートプレートを齧(かじ)る。“ま”の字だけがプレートに残された。

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