ちょうどそんな風になった頃、ある小さな月刊誌が女房にエッセイを頼んできた。「エッセイなんてとてもとても」と尻込みしていたが、「折角だから乗ってみれば」と強く私が勧めたので書き始めた。原稿を読んでびっくりした。いつの間にか書けるようになっていたのだ。門前の小僧だ。しかも私の文章によく似ている(だから上手い)。私が初めて原稿を書いた時、父(新田次郎)が「俺の文章に似ている。不思議だなあ」としきりに言ったが、私も女房の文章を見て同じことを思った。今でもそう思う。文章にとって最も大切なリズムがよく似ているのだ。他人にも時々、「御主人の文章に似ていらっしゃいますね」と言われるらしい。そんな日は夕食時に、「失礼しちゃうわよ、私の方がずっと上手いのに」とむくれる。最近では「御主人より上手いですね」と言う人さえいる。こんな日はさすがに機嫌がよい。そんな言葉を聞くとなぜか私もうれしい。
父は、私が『若き数学者のアメリカ』でデビューして二年余りで逝ってしまったが、時折、夕食時に、「今日はなあ、随筆は息子さんの方が上ですねえ、と言われちゃったよ」と上機嫌だった。私が大喜びしていると、「だが調子に乗っちゃいかんぞ。みんな俺が喜ぶと知って言ってるんだからな」と釘を刺したのを思い出す。
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