
一方の石原はその後、財界首脳にまで上り詰める。社長時代の一九八〇年に日本自動車工業会会長に就任、八五年から九一年まで務めた経済同友会代表幹事時代には、リクルート事件に揺れる竹下登首相(当時)への「退陣勧告」などを行い、「財界の論客」として名をはせた。
石原、塩路ともにすでにないが、あつれきは今も語り継がれる。二〇一八年にはかつて日産で課長を務めた川勝宣昭(かわかつのりあき)が『日産自動車極秘ファイル2300枚』を出した。副題は「『絶対的権力者』と戦ったある課長の死闘7年間」だ。当時、塩路の追い落としに奔走した様子がつづられる。今回のゴーン問題に触れ、「今度はゴーン自身が絶対的権力者となって会社を壟断した。巨大組織はなぜ、同じ歴史を繰り返すのか」と問いかけている。
高杉は、石原の塩路との向き合い方にも問題があったと述懐する。
「バランス感覚のある経営者だったが、最悪の方法でハードランディングをやった。役員人事でも主張にしても極端に動かず、時間をおいてうまく相手の顔を立てながらやれば、結果としてもうちょっと違う日産になっていたかもしれない」
日産は前述のとおり海外プロジェクトの失敗が経営の重荷となった。トヨタ自動車に徐々に差を広げられ、シェアを落とした。九〇年代後半には販売不振から倒産寸前の危機に陥り、仏自動車大手ルノーとの資本提携に踏み切った。二〇〇〇年、石原の最高顧問退任とともに社長に就いたのがゴーンだった。
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