- 2017.11.30
- 書評
なぜ辞令はかくも不条理なのか――「組織と人間」を見つめる人事小説の傑作
文:加藤 正文 (神戸新聞播磨報道センター長兼論説委員)
『辞令』(高杉良 著)
ジャンル :
#政治・経済・ビジネス
高杉良の作品の魅力はよく練られた会話劇の妙にある。上司と部下、同僚同士、会長と社長、頭取と専務など設定はさまざまだが、地の文による場面の描写は抑えられ、ふんだんに展開される生々しいやりとりが臨場感を強める。読み進むと、今そこで交わされているように感じられ、一気に作品世界に引き込まれる。
「さっき林常務から内示がありました」
「そうだってねぇ」
前島(宣伝部長)は、応接室のほうを手で示しながら、にこやかに返してきた。
(略)
「人事本部だと聞いたけど、羨(うらや)ましいねぇ」
前島はぬけぬけと言った。
「本部付でラインにも入れてもらえないそうです。つまり左遷です。それでも羨ましいとおっしゃいますか」
「それは考え過ぎだよ。人事本部のような枢要(すうよう)な部門へ左遷で行かされるわけがないだろう。きみ勘違いしてるよ。わたしが代って行きたいくらいだ」
サラリーマンならだれしも経験する人事異動の際の一場面。本作は一九八八年の刊行だが、三〇年たっても古びた印象がしないのは、企業社会の本質である「組織と人間」の問題を、「辞令」というそのものずばりのモチーフで活写しているからにほかならない。
主人公の広岡修平(四六)は大手音響機器メーカー、エコー・エレクトロニクス工業の宣伝部副部長。突然の左遷の内示を受け、衝撃を受ける。正義感と情熱にあふれ、第一選抜で進んできた広岡に失策はなく、左遷される理由は思い当たらない。自ら調査に乗り出すとオーナーである小林一族の思惑に行き当たる。
二万人の社員を擁する大企業でありながら、世間からは「小林商店」と見なされている。会長の小林明の強力なリーダーシップとファミリーの存在。人事は公平であるべきだが、小林の妻信子、次男の秀彦(ジュニア)らのわがままと、その意向を忖度(そんたく)する幹部たちが公平性を歪めていく。広岡は異動先である人事部の副部長で同期の大崎堅固から衝撃の事実を聞かされる。
「ジュニアとは会ったの」
大崎に訊かれて、広岡はどきっとした。
「きみの後任がジュニアであることは承知してるんだろうな」
「………」
広岡の返事が一瞬遅れた。
大崎がたたみかけてきた。
「なんだ、そんなことも知らんのか。広岡の後任はジュニアだよ。きみに対する宣伝部長の不信感は相当なものだねぇ」
経済小説の醍醐味
「ファミリービジネス」と呼ばれるこうした同族企業は国内外にあまたある。その経営が意外に強靭(きょうじん)なのもまた事実で、近年、経営学者の間で見直しが進んでいる。「多くのファミリーは、企業価値を大きくするということよりも、企業の永続を求めることが多い。そのようなファミリーは、長期的な視野からよい経営を考えることが多い」。経営学者の加護野忠男(神戸大学名誉教授、甲南大学特別客員教授)は著書『経営はだれのものか』でこう指摘する。