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結婚式、直木賞受賞、そして『東京會舘とわたし』。ミステリーのように不思議なご縁で導かれた大好きな場所

結婚式、直木賞受賞、そして『東京會舘とわたし』。ミステリーのように不思議なご縁で導かれた大好きな場所

辻村 深月

『東京會舘とわたし』文庫化記念トークイベント


ジャンル : #エンタメ・ミステリ

新しくなった東京會舘にいらしていただき、ありがとうございます。本の中にも美味しいお菓子がたくさん登場しますが、その中でも今日は私の大好きなマロンシャンテリーを召し上がりながらの会です。最後まで楽しんでいかれてくださいね。 

この本を書くことになったきっかけですが、まずは私が結婚式を東京會舘であげたことがはじまりです。東京會舘は文学賞の会場になることが多いと聞いて、作家としては「縁起がいいかも」と思ったのも会場を決めた理由の一つでした。実際に案内してもらったら、シルバールームというお部屋の壁が煉瓦のタイルで、確かに見覚えがあったんです。自分がずっと読んできた作家さんたちが受賞した際、会見で座られた背後にあった壁だとすぐにわかり、これまで意識したことがなかったけれど、自分の中にも確かに文学賞への憧れめいたものがあったんだと気づかされたんです。結婚式の引き出物は、私の当時の最新刊『ロードムービー』でした。まだ著作も少なく、一度も直木賞の候補になったこともなかったのですが、冗談めかして「次は直木賞の受賞会見で帰ってきます」と言ったところ、スタッフの方が皆さん微笑んで「お帰りをお待ちしてます」と言ってくださいました。

そして四年後、直木賞を受賞することになり、記者会見のために再び東京會舘を訪れました。私のことなどもう覚えていらっしゃらないだろうな、と思いながら、「私、結婚式もここだったんです」と伝えたところ、スタッフの方たちに「はい。お帰りをお待ちしておりました。お帰りなさいませ」と言われて、すごくあたたかい気持ちになりました。

実は、私が受賞した翌年から、改装のため、直木賞の記者会見会場は帝国ホテルに移りました。それを聞いて、私があの煉瓦の壁の前に立つことができたのは、東京會舘という場所の力が手伝って間に合わせてくれたような気がしたんです。

「東京會舘」という場所の力を借りていつか書きたかった歴史小説に挑戦


 
文庫版のカバーイラストには夜と昼のシャンデリアが描かれている

このエピソードを日経新聞のコラムで書いたところ、東京會舘の社長さんからお礼のお手紙をいただきました。私はずっと、歴史小説を書いてみたいという気持ちがあったのですが、書き方もわからないし、まだ自分にはハードルが高いなと感じていました。でも、「東京會舘」という建物が見てきた歴史、という形なら書けるかもしれないと思ったんです。

本を読んでいただいた方はお分かりでしょうが、東京會舘は激動の歴史を生きてきた場所です。落成した翌年に関東大震災が起こり、大政翼賛会の本部になり、戦後はGHQに接収されています。東京會舘を舞台の中心に据えて小説を書きたいとお願いしたところ、「私どもにどんなご協力ができるか一緒に考えさせてください」と仰っていただき、本当に隅々まであちこち取材で見せていただきました。東京會舘の以前の建物は2015年1月をもって建て替えのためにお休みに入ったのですが、最後の日にも立ち会うことができました。

本は、働いているスタッフの目線で書いているところと、お客さんの目線で書いているところがあります。万全の協力体制で、こういうことが知りたいと言うと、色んな資料を探してくださったり、詳しい方を紹介していただきました。その中で知った、何気ない話が蓄積していって、エピソード同士がカチッとかみ合う瞬間があるんです。それがまるでミステリーの様で、資料を読むのが本当に楽しかったです。

「東京會舘の花嫁」の一人になれてよかった

東京會舘で作られていた広報誌に、〈私の東京會舘〉という、会員の方が思い出を紹介するコーナーがあるのですが、三章の「灯火管制の下で」はそこに登場された方に取材をお願いしました。結婚式の最中、偵察機が窓の外に見えて、會舘の方が黒いカーテンを引いて、式を遂行させてくれた。式を終えて、灯りが消えて真っ暗な中、一日中付き添ってくれた女性が手をぎゅっと握ってくれて「どうかお幸せになってくださいね」と言ってくれたというお話でした。東京會舘では遠藤波津子美容室が結婚式の美装を担当されていて、私は美装のことも本で触れたかったので、実際は違うだろうけれど、その手を握ってくれた方を遠藤波津子さんご本人ということにしたいと申し上げに、当時の花嫁の方に会いに行きました。お願いをする前に、その方が「今でも覚えていますが、その方のお名前は遠藤さんと仰いました」と言われて、「ああ、これはいい小説になる。私の想像力を超えていく物語が生まれる」と心震える思いがしました。美容室の方も「それはうちの三代目に間違いないですね。そんな風に覚えてくださっている方がいるんですね」と言ってくださり、いろんな方と會舘を通じてつながっていくことができました。

現在のローズルームの灯り

私も「東京會舘の花嫁」と呼ばれる一人になれて良かったなとしみじみ思いました。これだけ東京會舘にお世話になったので、読者の方がここで結婚式を挙げてくれればご恩返しになると秘かに思っていたのですが、もうすでに何組かの方たちが「東京會舘とわたし」の本を手にお打ち合せにいらして、実際に式を挙げられたそうです。私が知る限り、東京會舘で結婚したカップルは皆さん幸せになっているので、自信をもってお薦めします。

マロンシャンテリーの感激から「ドレスを着せる」と言う表現が生まれた

初めての週刊誌連載で、しかも大正時代という、それほど遠くない昔の話を書くということにはプレッシャーもありました。そういう時にも會舘の人たちがもっていた時間の流れの感覚にとても助けられました。今の建物は三代目、私が取材していた時の建物は二代目ですが、初代の建物を知っている方を従業員の中から探してくださって「今の建物に使われているこのタイルが、昔は玄関に使われていたんですよ」などと教えていただきました。

週刊誌連載は、一体誰が読んでくれているのだろうかと不安に襲われることもあったのですが、「東京會舘とわたし」に関しては、會舘の皆さんが読んでくださっていて、バーにうかがうと「今週、バーが出てきましたね」と声をかけてくださったり、お菓子の工場に見学にうかがったら、休憩室に連載している「サンデー毎日」が5、6冊置いてあって、皆さんで読んでいただいていると聞いたりしてとても嬉しかったです。

白い生クリームの「ドレスを着せた」マロンシャンテリー

會舘の厨房にうかがった時に、黄色い栗のクリームが載った美しいお菓子がずらっと並んでいて、「モンブランもあるんですね」と何気なく言ったら「これはお化粧前なんですよ」というお返事にびっくりしました。つまり、このモンブランのような形を白い生クリームで綺麗に覆ったのが、皆さんが先ほど召し上がったマロンシャンテリーなんです。外からは見えない中身もこんなに綺麗なお菓子なんだと感激して、作中の「ドレスを着せる」という表現が生まれました。

美味しいもののエピソードは数え切れません。コンソメスープも革命的な美味しさで、まさにコンソメスープのパラダイムシフト(笑)!とにかくこのスープを自分の大好きな人たちに食べてもらいたい!というのが東京會舘で結婚式を行う決め手の一つでした。八章に登場する〈舌平目の洋酒蒸(ボン・ファム)〉、こちらはきのこが苦手な私が、世界で一つだけ食べられるきのこ料理です(笑)。しかも何年経っても、その味が舌に蘇える。これってすごいことですよね。

大正期から引き継がれるシャンデリアの秘密とは

最初は七話のつもりだったのですが、「もっと続けてほしい」と編集部から言っていただいたことで、連載がのびることになりました。ミステリーだと構成上、延長は難しいのですが、東京會舘には幸い書けるエピソードがまだまだたくさんあったんですよね。第八章の「あの日の一夜に寄せて」は、東日本大震災の日のことで、會舘に実際に届いたお礼のお手紙を元にできていったお話です。會舘が行き場をなくした人たちに一般開放されたということを知って、取材して書きました。

第九章の「煉瓦の壁を背に」の主人公は作家です。作家が作家について書くのは実は非常に難しいのですが、東京會舘の小説だからということで思い切れました。主人公はこの話の中で直木賞を受賞しますが、これは他の回を使うわけにはいかず、私自身が受賞した回の時間を使った話になっています。でも連載が延びたことによって、上下刊にページ数もぴったりにうまく分かれる本になり、それぞれに「旧館」「新館」というサブタイトルをつけました。


 

大正時代から引き継がれたシャンデリア

文庫版の装丁は上下刊で並べると、背景が夜と昼のシャンデリアになっています。黎明期から、明るい未来に広がっていく感じがして素敵な装丁ですよね。文庫で追加した新章にも書いたのですが、このシャンデリアは大正時代からずっと會舘に飾られている象徴的なものです。大正時代はローズルームというお部屋に三基並んでいたそうです。昭和四十六年の建て替えの時に會舘に一基引き継がれ、一基は「明治村」に寄贈され、一基は修理が必要になった時に備えて倉庫で保管されたそうです。新しくなった建物にももちろん引き継がれていて、保存されていた一基の部品はほぼ使い切ったと伺いました。三基分の命を継承している明かりなのだと思うと、感動します。こういうシャンデリアや、ローズルームというお部屋の名前、また第六章で書いた「金環」の照明も新しい本館の一階に使われていたりと、昔の會舘の思い出を大切にしているお客様の目線に立って、「変わらないままに、どう新しくするか」に心を砕いている東京會舘が私は大好きです。

単行本が出来た時はちょうど東京會舘が建て替え中でしたが、嬉しいことに文庫が発売された記念に新しくなった東京會舘でお話をすることができました。どうか皆さん、シャンデリアを見ていただいたり、マロンシャンテリー以外にも美味しいお菓子やお料理を食べていただいたり、この場所を訪れて、ご自分の「東京會舘とわたし」の思い出をここから作ってください。本日はありがとうございました。

 

(2019年9月20日 東京會舘ローズルームにて)

文春文庫
東京會舘とわたし 上 旧館
辻村深月

定価:803円(税込)発売日:2019年09月03日

文春文庫
東京會舘とわたし 下 新館
辻村深月

定価:803円(税込)発売日:2019年09月03日

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