要は「鬼のような親」、「支配的な親」、「自己中心的な親」などの総称が毒親と言えるが、この言葉が一般化するにつれ、より広い解釈がされるようになった。特に母親との関係に悩む女性にとっての「毒母」は、直接的な暴力や暴言とは無関係のことが多い。むしろ我が子を溺愛し、過保護な子育てをするのだが、それがかえって子どもの人生を苦しめるといった実態も報告されてきた。
こんなふうに毒親をめぐる問題は、個人の考え方や家庭環境、家族の関係性などによって捉え方が変わる。ある人にはふつうの親でも別の人にしたら毒親ということも多いし、昔はまともな親だったのが年を取ったら毒親に変わった、そんな場合もあるだろう。
いずれにせよ親が高齢になることは、子どもにさまざまな現実を突きつける。介護や経済的支援といった問題だけでなく、家族の過去やこれまでの親子関係、親族同士の思惑、自分自身の葛藤など、いくつもの難問が生じたりする。
自分を傷つけたり、愛してくれなかったり、勝手な言動を繰り返してきた親が老いたとき、子どもはどうすればいいだろう。
親と絶縁するという方法はあるだろうし、実際に一切の関わりを持たない人もいる。その一方、親との関係をどうにも断ち切れず、あらたな状況に踏み出す人も少なくない。
どれほどひどい親でも、子どもにとっては唯一無二の存在だ。親が高齢になり、親子関係のタイムリミットが迫るほど「親からの愛情や承認がほしくなった」、そんなふうに話す人もいる。死ぬまでに詫びてほしい、今度こそ変わってくれるだろう、せめて今からでも愛されたい、そんな感情から進んで親の介護を担うこともある。
親と距離を置いたり、長く疎遠になっていた人でも、さまざまな事情から近づかざるを得ない場合もある。たとえば親に認知症のような症状が現れたとき、日々の生活や金銭管理には誰かの助けが必要だ。介護保険をはじめとする各種の公的サービスはあるが、こうした支援は万全ではない。手続きなどの実務的な役割が課せられたり、代理人や身元引受人を求められたり、金銭負担を任されたりするのは、一般的に家族である。