吐け、太陽。太陽が吐瀉する。いつになるかはわからないが、俺ではないところにだってあいつは吐瀉するだろうし、すべての人間は太陽のためのエチケット袋だということをまだ誰も知らない、日焼け止めを塗ればいいと思っているやつ、タワーマンションに引きこもればいいと思っているやつ、そういう奴にも吐瀉物は降る。あたりまえだが、吐瀉物は吐瀉物であって光ではないんだ、受け取り手のいないハイテンションに身を焦がしてしまいそうになる時、俺は確かにその吐瀉物を受け取っている。詩人も画家も吐瀉物まみれですよ、小説家もね。
そうやって時に傑作が生まれたり、宝くじが当たったりする。病が奇跡的に治ったり、ツチノコが見つかったりする。でも太陽は、人を狂わすのが好きではないし、エチケット袋を見るだけで吐きそうになるバスの子供と同じだ、俺たちをみると吐き気を催し、いつもやけくそになっている。吐いた時にきみがいてくれたら確かに大地は汚れないし、いいのだけど、愛とか恋とかいうもの、戦争や経済というものを回転させている彼らの上に吐いてみたいなあ、吐いたら楽しいんとちゃうかなあとか、つい思ってしまう自分が嫌いだ。それを望んでいる人も大勢いるということが地獄でないというならなんだというのか。