読んで不思議な気持ちになる。強迫神経症を病んで十三年、ほぼなおったと思ったら今度はアルコール性肝炎の疑いや脳梗塞、自死の可能性もないとはいえない夫との暮らしは、どれほど妻をおびえさせ、追い詰め、疲弊させたろうか。そう思うのに、ここに描かれる日々に、逃げ出したくなるような壮絶さや悲壮感はない。挿入される詩から、かなしみや不安ややるせなさが液体のように静かににじみ出ていると私は感じるけれど、でもここに紡がれる言葉は、広々として安らかで、明るくさえある。この一冊を読み終えて思い浮かぶのは、小説家が何時間も床を拭いているような、友人から絶縁状が届くような、強烈なエピソードではなくて、旅する二人の姿ばかりだ。旅しながら句会をする、どこまでも平和な姿だ。
壮絶さではなく安らかさを感じるのはなぜだろう。食卓に新聞紙を敷き、たがいの原稿を読み合う、敬虔でおごそかな時間が病前も病後も描かれ続けているからだろうか。それとも、世界じゅうの光景をそれぞれの言葉にするかのように、二人が旅をし続け、あたらしい景色を見続けるからだろうか。あるいは、小説家と世界を作る覚悟をした詩人の矜持だろうか。──いや、もしかしたら、高橋順子という人のたましいが持っている生来の明るさ故なのかもしれない。それこそが、小説家を救い、支え、生かしたもの、二人の世界の核となっていたものの正体なのかもしれない。
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