
門井 校舎自体は赤レンガの痕跡を碑に残すのみですが、この赤レンガを眺めるとき、私は「殖産興業」の匂いを感じずにはいられません。明治政府は国を挙げて殖産興業をやるというけれど、矢面に立つのは工部省なんです。当時の役所の管轄を見ると、鉄道も造船も鉱山も製鉄も電信も、みな工部省が担当している。国づくりの要素がビックリするくらい全部入っている中に、「造家」(のちの建築)も含まれていました。

万城目 造家学科の第一期生は数人なんですよね。辰野は首席で卒業したと聞きますけれど、本当ですか?
門井 そうです。在学中にひとり亡くなって、最終的に同期は4名。曾禰達蔵、片山東熊、佐立七次郎、そして金吾。みなのちに高名な建築家となる錚々たるメンバーです。ちなみに金吾の入試の成績は最下位で、同郷の曾禰が甲科合格の官費入寮生だったのに対し、金吾は乙科の私費通学生。いまで言うと大学生と予備校生くらいの差があります。
万城目 入ってから辰野がものすごく頑張ったということですか。
門井 はい。金吾が功成り名を遂げたのち、長男である隆(東大教授、仏文学者)に繰り返し語ったそうですよ。「お前は俺の息子なのだから天才であろうはずがない。俺は同級生に曾禰君というすごい男がいたが、クソ勉強して一番になったのだ。だからお前も努力せよ」と。それほどまでに金吾は、自分のことを天才とは思っていなかった。「努力の人」であると自己認識していたのです。
さて、ここで私、ちょっと大胆なことを申し上げようと思うのですが……。
万城目 ほう、何でしょう?
門井 もし建築というものが美術品だとしたら、こんにち残っているものから判断して、金吾はどうも曾禰、片山には劣っているのではないか。
万城目 何と! いきなり思い切った門井説が飛び出しましたね(笑)。
門井 たとえば片山東熊の赤坂離宮と金吾の日本銀行を眺め比べて、純粋に美的にどちらが上かといったら、それは東熊だと思うんです。
万城目 それはそうかもしれない。見るからに華美ですものね。

門井 また、慶應大の赤レンガ図書館(旧館)や、レストランとして有名な小笠原伯爵邸をつくった曾禰達蔵は、あんまり「俺が俺が」というデザインをしない人ですが、少なくとも卒業論文のコメントを見る限り、コンドル先生は曾禰の才能を高く評価していました。金吾は二番手。ところが結局、先生が首席の座をあたえたのは金吾のほうでした。これですべてが決定した。留学も、帰国後の教授の座も金吾のもの。いっぽうの曾禰は助教授のままです。
万城目 なぜでしょうね。指導者、教育者として日本の建築界をリードしていく資質という点で、辰野に軍配があがったということですか。
門井 コンドル自身はそこまではっきりと言っていないんです。ひとつはやっぱり美術以外、つまり構造面、実用面での評価でしょうが、もうひとつは人間そのものへの評価だったんでしょう。私の小説では、コンドル先生に「世の中を変えてやろうという気概において、辰野君が上だった」という趣旨のことを言わせています。コンドル先生も若かったし、金吾たちも若かったし、近代日本そのものも若かった。未来への期待という一点がとほうもなく高い評価の対象だったんですね。
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