本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
万城目学と門井慶喜の「辰野金吾建築散歩」in東京

万城目学と門井慶喜の「辰野金吾建築散歩」in東京

「オール讀物」編集部

ふたりの建築探偵が大建築家の足跡をぶらぶら歩く!

出典 : #オール讀物
ジャンル : #歴史・時代小説

(4)品川弥二郎銅像台座【辰野金吾/1907年/千代田区九段南2-2】

門井 北の丸公園の北側、田安門の近くに品川弥二郎の像が建っています。この台座部分が金吾の設計なのですが、いま我々にとって品川弥二郎といえば「かの悪名高き」と枕詞がつきます。松方正義内閣の内相として選挙干渉をおこない、官民が衝突して多くの死者を出しました。

現在工事中の品川弥二郎銅像。奥にちいさく見えるのは大山巌の騎馬像

万城目 そんな人の銅像に辰野が携わったのは、何か理由があったんですか?

門井 うーん。調べてみたのですが、わかりませんでした。しいていえば、偉い人の銅像だから当代一流の人に依頼しよう、像は本山白雲という肖像彫刻の権威に、台座は辰野先生に、ということだったのではと想像します。単純にネームバリューの問題かなと。

万城目 この台座、とにかく巨大です。いま補修工事中で近寄れず、僕らは歩道橋の踊り場から眺めているんですけど、全体を見るにはこの距離感でちょうどいい。品川弥二郎がチェスの駒に見えるくらい台座がガッシリしてますね。

門井 こちら、東京で金吾の名残を探そうとしたとき、いつでも見られる貴重な現存建築ではあります。

万城目 場所としては、ちょうど九段下の駅から武道館に向かう途中です。じつはこのへん夜になると暗くて、ライブの待ち合わせをしたくても、大勢たむろしていると相手の顔がわからない。像周辺の歩道も整備中ですから、ひょっとしたらここ、今後、待ち合わせの名所になるかも……ってならないか。

 

(5)初代両国国技館【辰野金吾/1909年/墨田区両国2-10-14】(現存せず)

初代国技館の完成図(門井氏提供/「建築雑誌」第271号〔明治42年7月25日刊〕より)

門井 隅田川をこえて一路、両国へとやってまいりました。明治四十二(1909)年、金吾五十六歳のときに手がけたのが、初代の国技館です。

万城目 現在の国技館とは少し場所が違っていて、回向院のお隣なんですけれども、残念ながら実物は残っておらず、案内板がひとつ建っているだけ。でも、写真を見るだけでも、大衆文化の粋を結集したようなモダンなデザインだったことがわかります。辰野はドーム屋根、本当に好きなんですね。

門井 工事中のドーム屋根の鉄骨を撮影した写真を今日、持ってきました。

万城目 すごい数の鉄骨ですね!

鉄骨組み立て作業の様子(門井氏提供/「建築雑誌」第271号〔明治42年7月25日刊〕より)

門井 大きな屋根を支えるのに、これだけの本数が必要だったのでしょうけど、大量の鉄骨が崩れやしないかと大工さんたちが嫌がった。彼らも見たことがなかったんですね。そこで金吾は「みんなどいてろ」と言って鉄骨の真下にひとり立ち「ほら、大丈夫だろ」と身をもって安全性を示したそうです。この鉄骨、巨大な傘の骨のように見えるので、初代国技館は「大鉄傘」という愛称で呼ばれていました。

万城目 当時、大人数が集まって観戦できる娯楽のスタジアムって相撲だけだったと思うんですよね。そこを一番に手がけるというのは、これまた娯楽界の日銀をつくるようなものじゃないですか。

門井 娯楽界の日銀(笑)。

万城目 もしもこの国技館が残っていたら、日銀より初代の国技館を手がけたことのほうが、いまとなってはカッコいい気がしますけどね。

門井 国技館ができるまでのお相撲って、回向院で勧進相撲の興行が春と秋に行われるほかは、基本的には不定期の、いわゆる「小屋掛け」。河原などに葦簀を張った仮小屋でやっていて、天気にも左右された。明治の終わり、初めて常設場ができ、雨天でも楽しめるようになったとき、おそらく相撲は神事からスポーツになったんだろうなと思います。近代で大切なのは「予定通り」っていうことなんですね。国技館の大鉄傘はその象徴だったのかもしれません。

初代の国技館は現在、案内板1枚を残すのみ

万城目 初代国技館は、火事で焼け、震災で壊れ、空襲で焼けてなお、戦後、日大の講堂としてしぶとく生き残ったそうですけれど、それも取り壊され、現在は商業施設のビルになっています。(ビルの中庭を歩きながら)このあたりに土俵があったそうですが……。

門井 あ、もしかして、この跡って。

万城目 超巨大マンホールの蓋のような円形が地面にありますね。ガチャッと開いて、そのまま下水につながってそう(笑)。え、これが土俵の跡ってことですか?

門井 土俵のまわり、ふつうに自転車置き場になってますけど(笑)。

万城目 「ここで球技をしないでください」という注意書きがありますね。

門井 相撲じゃないのか(笑)。

万城目 たしか辰野は大変な相撲好きだったんですよね。家の庭に土俵があったんでしたっけ。

門井 そうです。酔うと必ず相撲甚句を唄い、3月22日の日銀記念日に大勢が集まると、庭で相撲を取ったとか。

万城目 裸でまわしを締めてる絵が想像できますね。映画『シコふんじゃった。』の竹中直人みたいな感じかな。

自転車に埋もれる土俵跡で「はっけよーい!」

 

(6)東京駅【辰野金吾/1914年/千代田区丸の内1】

万城目 いよいよ東京駅です。8年前に門井さんと来たときには、まだ復元工事の壁に覆われてて、先っぽのドーム屋根がちらりと覗くだけだったんですが。

門井 いまやすっかりお洒落な観光地になり、駅前広場も広々としていますね。

広大な駅前広場で東京駅トークが弾む

万城目 東京駅の中央線ホームって一番丸の内寄りにあるんです。ここで電車を待っていると、赤レンガ駅舎の真裏が見えるんですよ。かなりの至近距離で屋根の細部、ちいさな飾り塔、小窓の横のウロコ模様まで観察できるので、おすすめのスポットなんです。

ドーム屋根の裏側もじつに壮麗

門井 そうか、ホームの位置がすごく高いから。

万城目 中央線の線路って、エスカレーターで4階分くらい上がっていくから、めちゃくちゃ高いんですよ。さらに駅舎の裏側って、正面側のこぎれいさと違って、ほどよくくすんだ「昭和の東京駅」感がある。あと、駅舎の奥行きのなさをダイレクトに感じることもできます。赤レンガ駅舎は、丸の内口を入って改札までの幅しか奥行きがないので。

門井 それは駅舎内のステーションホテルに入っても感じますね。ホテルの中では、基本的に横移動の動線しかありません。

形のことを言えば、私、8年前の建築散歩の際、東京駅を評して「横に長すぎやしないでしょうか」と批判がましいことを申し上げたんですけれども……。

万城目 きわめて先見の明です。おそらく、ホテルで働いている人、みんなが毎日そう思ってるはず(笑)。

門井 いまもその意見に変わりはないのですが、金吾の小説を書いた身として東京駅を弁護するならば、現在の日本人以上に昔の日本人は地震を恐怖していました。その恐怖は、東京駅開業から9年後の関東大震災で現実のものになるわけですけれども、当時の資料を読んでいると何度も何度も「日本は地震が多い国」との言葉が出てくる。当然、設計上もその恐怖心を和らげる工夫が必要となります。駅舎の横幅を目一杯とること自体がもう「絶対に倒れないよ」という大衆向けの、端的なメッセージだったかもしれない。

赤レンガ駅舎の中央に位置するのが皇室専用の「貴賓出入口」

万城目 たしかに安定感は出ますね。

門井 さらに素材の話をしますと、東京駅は「最後の大規模レンガ建築である」とも言える。東京駅の場合、まず鉄骨を組み、その周りにレンガを置く「鉄骨レンガ造り」という堅固な工法を採っており、おかげで無事に震災を耐え抜くんですが、残念ながら他の多くのレンガの建物が地震で壊れたため、赤レンガ建築は時代遅れになってしまうんです。

金吾の手がけた赤レンガの東京帝大工学部を、震災後、鉄筋コンクリートの専門家である内田祥三が建て直したことが非常に象徴的ですけども、震災を機に急速に鉄筋コンクリートが普及する。その普及前の最後の大物が東京駅なんですね。

じつは東京駅をつくるときすでに、金吾は弟子から「鉄筋コンクリートでいきましょう」と言われてるんですよ。

万城目 ほう、ほう。

門井 当時、日本最初期の鉄筋コンクリート建築(神戸和田岬の東京倉庫)が建設中で、金吾はその現場を神戸まで見学に行っている。でも、生コンって練ってるときすごく柔らかいでしょう。こんなドロドロの素材で強度が保てるのかと不安になって、採用を見送ってしまうんです。すでにアメリカではコンクリートで20階、30階建てのビルを建てているから「絶対大丈夫です」と弟子はおそらく言ったでしょうが、金吾は認めなかったんですね。

万城目 辰野自身は、震災の4年前に亡くなっています。幸か不幸か、赤レンガ建築の倒れるところは見なくてすんだのですね。もし辰野が震災を経験していたら、その後、どんな建物をつくったのか気になりますが……。そしてこの東京駅、2024年には一万円札のデザインにもなる。

渋沢栄一の新1万円札の裏には東京駅の勇姿が(財務省提供)

門井 はい。渋沢栄一の裏が東京駅だそうです。

万城目 来年の大河ドラマは渋沢栄一なので、彼がパトロンとなって猛プッシュした辰野も絶対に登場するでしょう。誰が辰野を演じるか楽しみですね。いっそのこと門井さんがいいんじゃないですか? ひげを生やして眼鏡かけて、「辰野でございます」って(笑)。

門井 アハハハ。でも滑舌悪いから(笑)。

夜景も美しい

 

(7)国会議事堂【大蔵省臨時議院建築局/1936年/千代田区永田町1-7-1】

万城目 ついに国会議事堂です。

門井 金吾にはどうしても自分の手でつくりたい三大建築がありまして、それが中央銀行、中央停車場(東京駅)、国会議事堂だったわけですけれども……。

三角屋根と正面の巨大な車寄せが国会議事堂の特徴

万城目 前の二つを達成して、いよいよ議事堂! というところで辰野は亡くなってしまうんですね。大正八(1919)年、享年六十六。死因のスペイン風邪というのはインフルエンザですよね。

門井 はい。経緯を簡単にまとめておきますと、当初、議事堂は大蔵省がつくることが決まっていました。大蔵省とパイプが太いのは官僚建築家の帝王、妻木頼黄。金吾の五期後輩で、終生のライバルと言われた人です。通常ならば大蔵省=妻木ラインで設計が進む。そこに金吾が横やりを入れて、「若い才能が育っているから、議事堂はコンペで決めよう」と言いだした。一見、美しい正論に見えますが、コンペになれば必然的に自分が審査にかかわれる。当選作にも手を入れちゃおうと考えたわけです。

万城目 策略家ですなあ……。結局、妻木が先に亡くなって、狙いどおりコンペが行われることになって。

門井 はい。そうして選考会議の途中で、金吾も亡くなってしまうんです。病気なのに無理して会議に出席して、倒れてしまった。その後、やっぱり大蔵省が主導権を握ることになり……。

万城目 大蔵官僚のテクノクラートたちの合作みたいになるんですよね。

門井 妻木頼黄の下で働いていた官僚建築家の矢橋賢吉が中心となって案をまとめました。ただ、矢橋は自分を主張するタイプでなく、誰の不満も出ないよう各方面に配慮した結果、あの鵺のようなデザインの議事堂になったわけです。

「帝國議會議事堂」竣工記念に発売された煙草「チェリー」の箱(門井氏提供)

万城目 辰野がどんな議事堂にしようと考えていたかまでは、わからないままということですか。

門井 記録は残っていません。ただ、私が想像してみるに、もしも金吾が国会議事堂をつくっていたならば……

万城目 読者のみなさん、よく聞いておいてください。門井説ですよ(笑)。

門井 政府から「日本全国の名石を使え」と言われてましたから、赤レンガの入る余地はない。東京駅ではなく日銀をベースに考えていくと、まず議事堂の中央部分、ピラミッド状の三角屋根は、おそらくドームになっていたでしょう。

万城目 おおー。それは納得できる。

門井 真ん中に日銀ふうの緑色のドームを置き、さらに衆院側、参院側、左右それぞれに一つずつ小ドームを置く。

万城目 ドーム、ドーム、ドームと重ねていくんですね。

門井 外壁には全国の花崗岩、安山岩を用いますから色は白。案外いまの国会議事堂と変わらないんじゃないかと思います。問題は、中央手前の車寄せです。

万城目 中央の立方体のようなカチカチッとした四角は、車寄せなんですか。

門井 とにかく大きいし、前に出っ張りすぎですよね。加えて、左右に長いスロープがのびている。完成したのが昭和十一(1936)年ですから、これは自動車の時代の車寄せなんです。しかし、金吾のような明治人の美意識にはフィットしません。馬車や人力車で育った世代だから、車寄せはちいさくてよい。さらに現在の議事堂についてる衆参両院のちいさな車寄せは要らないんじゃないか。真ん中に一つ、天皇陛下のものだけあればよい。そして中心部の、特に一番下の列柱は、もうちょっと目立たない感じで控えめに……

万城目 けっこうリクエストが多いですね(笑)。

門井 私がではありません。金吾がそうするであろうと(笑)。

資料と実際の建築を照らし合わせ、沈思黙考する門井氏

 

(8)常圓寺【新宿区西新宿7-12-5】

門井 本日最後の見学地、西新宿の常圓寺にやってきました。こちらは辰野家の菩提寺です。

辰野の墓前でしばし合掌

万城目 立派なお墓ですねえ。敷地も広いし、大きな墓石の横には「東京帝國大學名譽教授 從三位勲三等工學博士」と刻まれていますよ。

門井 半分墓石、半分記念碑みたい。

万城目 さらに辰野の戒名がすごくて、「慈光院殿莊嚴日悟居士」。

門井 隣には長男の隆の墓もあって、こちらの戒名は、「文徳院殿自在日隆居士」。仏文学者らしくユニークです。

金吾夫妻と子息の隆夫妻のお墓が並んでいる

万城目 ところで門井さんから以前、辰野の「人生三大万歳」の話を聞いた覚えがあるんですけれども……。

門井 はい。東京駅の設計を受注したとき、日露戦争に勝利したとき、そして臨終の寸前に、万歳三唱したそうです。

万城目 臨終の万歳って、どんな様子だったんですかね。

門井 息子の隆によれば、家族を集めて起き上がり、奥さんに「お前を生涯の妻としたことは無上の満足だ」と感謝の気持ちを伝えたと。さらに子供、女中、庭師に至るまで言葉をかけ、最後に万歳して息を引き取った。まあここは、情況からして、万歳「三唱」はできなかったかな。そのとき枕頭に詰めていた親友の曾禰達蔵には、「議事堂をよろしく頼む」と言い遺したそうです。

さらに一つ、不思議なエピソードがありまして、臨終間際、意識が混濁したとき、金吾はニマ〜ッと笑いながら「縦から見ても、横から見ても」と呟いたらしい。

万城目 そのこころは?

門井 まったくわからないので、私は「わからない」と小説に書きました。死の床で、自分の気に入った建築を思い出してニンマリしたのかなとも想像したのですが……。

万城目 違うんですか?

門井 まだ金吾が元気だったころ、息子たちが聞いたんですって。「親父の建てた作品で一番気に入ってるのは何?」と。そしたら金吾は「何一つない」と即答したと。「俺は一生懸命やったが駄目だったなあ」と言ったそうなんです。息子相手に謙遜するような人じゃないので、これはこれで金吾の実感だったんでしょうね。

 

散歩を終えて

万城目 工学寮に入った二十歳から、亡くなる六十六歳まで、東京を歩きながら、辰野の46年間を振り返ってきましたけれど。

門井 万城目さんがあだ名の話題に触れられましたね。「辰野堅固」と言われたほど徹底して頑丈な建物をつくってきた金吾は、同時代の建築家と比べても、究極的には美術の人ではなくて物理の人。力学の人だったと思うんです。

金吾当人は、人一倍美術への関心もある。そういう論文も書いている。しかし生み出した作品を眺めてみれば、この人は国家のために仕事をした人だなと感じました。自分の好みではなく、国家がそれを求めているからやる。本人にもその自負や克己心がある。徹底的に勉強する努力家なので金吾にはそれができる。

さきほどのお墓の戒名を見ても、息子の隆はおそらく「お父さんと自分は違うよ」という意味で「自在」という言葉を用いているんじゃないか。金吾に「自在」などと言ったら怒ると思うんですよ(笑)。「人生とは自在に生きるものじゃない。国家の求めるところに従って生きるのが男の本懐だ」と。そういう意味では父子の戒名も対照的で、金吾は金吾らしく「莊嚴」、隆は隆らしく「自在」。なにせ隆はいちど法学部でフランス法を専攻したあと、やはり文学をやりたいと仏文科に入り直した人ですから。

万城目 面白い親子ですねえ。今日、いろいろ行きましたけれども、最後のお墓が西新宿でした。周囲をぐるっと高層ビルが囲んでいるのに、お墓の上空だけぽっかり何もないのが印象的で。

東京駅も日銀もまったく同じなんです。辰野金吾は広い空を連れてくる。なぜかといえば、辰野が建てた建築はずっと残り、周囲はどんどん発展して大都会になる。結果、彼の建物の上だけ空間が空いてしまうんです。

門井 ああ、いい言葉だなあ。辰野建築のまわりだけ、明治、大正のまま。

万城目 今日はたいへん天気がよく、青空を背景にした東京駅は言葉にならないくらい美しかった。辰野が意図した結果ではないんでしょうけど、広い青空と赤レンガの東京駅が組み合わさることで、あの場所は唯一無二の存在になりえていると思います。これこそが辰野の偉大さの証明ではないかと。

門井 今日は万城目さんと金吾の話ができて楽しかったです。ありがとうございました。

万城目 ありがとうございました。


あとがき

 一筆御礼 門井慶喜

ついに辰野金吾の小説を書いてしまった作家・門井慶喜氏

 日本近代建築の父といわれ、「辰野式」という様式の名にもなった辰野金吾の作品は、しかし意外にも、いまの東京にはほとんど残っていなかった。完全な建物はふたつだけ。日本銀行本店と東京駅。

 在世中はうんざりするほど建ったはずだが……このことは、むしろ金吾の名誉だろう。何しろ金吾は明治の日本人建築家の第一世代に属している、ということは、れんが世代に属している。

 れんがの建物はやはり強度に限界がある。金吾死後の関東大震災でかなりの数がやられたため、以後、日本では、鉄筋コンクリート造が急速に普及する。金吾の建物は、つまり東京の土になったのだ。

 現代の私たちは、みなその土の上へ安心して超高層ビルディングを建てている。今回の旅の最後に新宿・常圓寺へ行き、金吾のお墓にお参りしたさい、私は、

「ありがとう」

 と、つぶやかずにはいられなかった。

単行本
東京、はじまる
門井慶喜

定価:1,980円(税込)発売日:2020年02月24日

文春文庫
ぼくらの近代建築デラックス!
万城目学 門井慶喜

定価:924円(税込)発売日:2015年05月08日

プレゼント
  • 『グローバルサウスの逆襲』池上彰・佐藤優 著

    ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。

    応募期間 2024/4/19~2024/4/26
    賞品 新書『グローバルサウスの逆襲』池上彰・佐藤優 著 5名様

    ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。

ページの先頭へ戻る