命を懸けてでも達成すべきものに出会えているか
今作『空の声』は、著者のスポーツ小説のなかでは、異色の物語である。
主人公の和田信賢は、戦前の大相撲中継や、NHKのラジオ番組「話の泉」の司会などで、国民的人気を誇った名物アナウンサー。テレビ放送がなかった時代、ラジオの最盛期を、「瞬間芸術」と評される名実況で盛り上げた人物だ。
昭和14年、大横綱・双葉山が70連勝をかけてのぞんだ大一番をまえに、和田はこう実況した。
「不世出の名力士・双葉、今日まで69連勝。果たして70連勝なるか? 70歳は古稀、古来、稀なり」
この取組後、「双葉山散る、双葉山散る、双葉山散る。時、昭和14年1月15日――」という絶叫は、聴取者の心をつかんだ。
そんなスターアナウンサーが、オリンピック中継のため1952年のヘルシンキ大会に派遣された。このとき和田は、長年の無理がたたって、体調面の不安を抱えていた。異国の食事や、慣れない北欧独特の気候などで体調は徐々に悪化。それでも、現地からの中継や、メダリストとの対談番組の司会をするなど、仕事を続けていたが、次第に目も見えなくなり……。
「執筆するにあたって、和田さんが残した日記を資料として読み、東京、ヘルシンキ、パリと彼の足跡をたどりました。その過程で、『私なら、仕事を途中でリタイヤして、日本に帰るだろうな』と思いました。彼の仕事への責任感、オリンピックへの想いは、本当にすさまじいものでした。
当時、和田さんは40歳。今と違って、アナウンサーとしてキャリアの後半に入っていたかもしれません。和田さんの遺稿からは、『これがラストチャンスだ』『自分の声でオリンピックを中継したい』という想いがガンガンあふれていました。執筆しているさなか、私はずっと反省していました。『これまで懸命に仕事をしてきたのだろうか』と。
もちろん、健康こそが一番大事ですし、働き方改革が叫ばれている時代であることも分かっています。でも、そういう問題じゃないんですよ。『命を懸けてでも達成すべきもの』に出会えているかどうかなんです。書き終えた今、『決してまだ遅くないから、これから頑張ろう』と、そんな風に思っています。
これは私の推測なのですが、和田さんは、双葉山の敗北を実況した時に、スポーツが持つ熱狂に魅了されたのではないか、と。スポーツが持つ魅力の本質を伝えられるのは自分しかいない、というプライドを、誰よりも持っておられたんだと思います」
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