食エッセイを読む時のポイントは「憧れ」か「共感」である。
「憧れ」は、書かれた食べ物に対して「これを食べてみたい!」、お店なら「行ってみたい!」と思わせることだ。書き手としては、いかにそこへ誘いこむかが、腕の見せ所になる。そしてもう一つ、「共感」とはすなわち──。
「あ、これ、食べたことがある」。
例えばドイツのカリーヴルスト。僕はこれを、数年前にベルリンへ取材に行った時に食べた。どうしても食べたかったわけではなく、ドイツ名物だと聞いていたので、取り敢えず「済」マークをつけておくか、という軽い感覚だったのだが。
この時は正直、首を捻った。カリーヴルスト=カレーソーセージ。どちらも日本人に馴染みの深い食べ物だから、二つを組み合わせた味もだいたい想像がつく。ところが出てきたものを見ると、ちょっとしなっとした白っぽいソーセージに大量のケチャップ、その上にカレー粉……カレー粉? まずそのビジュアルに衝撃を受けた。いやこれ、ソーセージにケチャップとカレー粉をかけただけでしょう? もうちょっと料理してくれよ、と文句を言いたくなった。
普段、カレー粉をそのまま舐めることはまずない。ケチャップと一緒に口に入ってくるカレー粉はかなり刺激が強く、普段僕たちが食べているカレーの味とはかなり異なっていた。まあ、「面白い味」という感じですかね。これをつけ合せの大量のフレンチフライ、申し訳程度の生野菜と一緒に食べてランチ終了。
名物って言ってもこんなものなのかなあ、とずっと不思議に思っていたのだが、どうやら小ぎれいなカフェに入ってしまったのが失敗だったようだ。平松さんは、これを屋台で食べている(「カリーヴルストをベルリンで」)。しかもその屋台では「皮あり」「皮なし」などとカスタマイズできたようで、僕が入ったカフェのお仕着せのカリーヴルストは、完全に観光客向けだったのだと、これを読んで分かった次第です。本来はもっと気楽に、屋台で買ってつまむものらしい。そういう状況で食べるとまた味が違うのだろう、と容易に想像できる。
山形では肉そば(「肉そばを山形で」)。しかも店も同じ、山形へ行った理由も同じで、「山形小説家・ライター講座」へ講師として招かれた時に、本番の前にまず肉そばだ! と飛びこんだ流れまで一緒である。
この肉そば、なみなみとした冷たい汁にそばが入り、ごきごきとした硬い歯ごたえの鶏肉がメーンの具になる、かなりの変わり種だ。山形は蕎麦王国なのだが、名物の「板そば」も、そばそのものはいたって普通である(板に乗っているのがビジュアルの特徴)。
昔、山形の知り合いから「山形蕎麦っていうのはないからね」──つまりこれといった特色がないと教えられたことがあるが、この冷たい肉そばは例外。山形独自の食べ方として面白い。僕が行ったのは秋だったのだが、外を冷たい風が吹く中で食べた冷たい肉そばは、なかなか味わい深かった。
ちなみにフィンランドの話(「フィンランドでサ道」)はサウナ三昧で、食べ物の話はトナカイのスープだけだったが、この理由を想像するに……「これは!」という料理がなかったのでは? 平松さんが行ってからしばらくして僕もフィンランドを取材したのだが、こと食べ物に関してはいい出会いはなかった。ヨーロッパの料理は、北へ行くほど厳しく、禁欲的になるようだ。そもそも緑の物が少ないのが、野菜っ食いの人間として寂しい限りで、僕も積極的に人に紹介したくなる料理は味わえなかったのである。
平松さんという知己を得たのは、実はこの週刊文春の名物コラムがきっかけである。昔、新聞で書いていたコラムで芽キャベツを取り上げたことがあって、それを読んだ平松さんが芽キャベツネタで一本、書いてくれたのだ。
以来何度かお会いしているが、その度に面白い店を教えてもらっている。まだコラムになっていない店だったりすると、心の中で拳を固めて「ラッキー」とつぶやいてしまう。実際、弾丸ツアー的に福岡で取材した時に、教えてもらったある店で人生観が変わるような思いをしたことがある。
しかし、平松さんとは、食べ方のスタンスがだいぶ違うことは意識している。平松さんは、それがどんな店であっても、何だかしゃきっと背筋を伸ばして食べているようなイメージなのだ。それに比べてこっちは、積ん読になっていた海外ミステリの文庫本を読みながら、だらだら食べていることもしばしばである。それで美味い不味いなんて言っているんだから、これは間違いなく不真面目な客ですね。いかんなあ。
平松さんは基本的に、生真面目かつ柔らかい文体で文章を綴っていくのだが(この、一見矛盾した感じが両立しているのがすごい)、時に狙っているのかナチュラルなのか、ユーモアが爆裂するフレーズが飛び出すことがある。
今回も、「ぬるい味噌汁」の中のワンフレーズで爆笑してしまった。タイトル通り、定食屋で味噌汁がぬるかった、というだけの話なのだが、その表現が『ひとくち啜って、動転』。『このぬるさを最初から目指そうとすると、むしろ技術がいるんじゃないかと思わせる絶妙なぬるさ』だったそうだ。
爆笑した後、思わずうなずいてしまった。分かる、分かる。僕は不真面目ながらも、一食一食で絶対損したくないタイプの人間なので、初めて入った店でとんでもない料理が出てきたりすると、もう、世の中が終わるような絶望感を味わう。味噌汁がぬるいぐらいではそこまで絶望しないかもしれないが、この「動転」は、がっかり感の表現として、絶妙のセレクトではないか。
ここでも共感。食エッセイでうんうんうなずく箇所が多いと、何だかえらく得した気分になるものだ。
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