小実昌さんの『ポロポロ』を、もっと注意して読まないといけないと思ったのは、「魚撃ち」のこんな一節を発見したからだ。
そして、ぼくは心が和み、ぼんやり、ため息をくりかえすような気分だった。心が和んだみたいになったときは、なににたいしてという対象もすがたが消える。それと同時に、このぼくのすがたも消えるようで、ぼくは揚子江のなかにとけこみ、揚子江もぼくにとけこんで、ただ、そこに、川の流れと、はるかな岸と、土手の草と空があった。
敗戦後、九江から武昌まで、揚子江の船の上で、川にうかんでいる機雷を監視する任務についた初年兵の小実昌さんは、濁った水面下一メートル半とか二メートルにある機雷を発見するのはムリだと、早々に判断し、軍靴を脱いで素足を舳先からぶらさげ、のんびりしている。
しかし、九江から揚子江の上流に、船がすすんでいくうちに、ぼくの心に、ふっと和むものがあり、それは、空(くう)のようにかるく、ぼくの心にひろがり、心をひたして、つまりは、ぼくは揚子江ととけあってしまったようだ。
船がちいさなポンポン船で、水面のすぐそばに、ぼくがいたりしたせいもあるかもしれないが、こんなふうに、心が和むときには、その理由などは外のものになる。
この続きは、「文學界」6月号に全文掲載されています。
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