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赤い砂を蹴る

赤い砂を蹴る

文:石原 燃

文學界6月号

出典 : #文學界

「文學界 6月号」(文藝春秋 編)

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 ミランドポリスに着くのは、夜十時をまわるだろうということだった。

 昼の十二時半にバスに乗ってから、もう五時間以上経つというのに、やっと半分を超えたところだと聞いてめまいがした。

 サンパウロ市内からノロエステ線に沿って西へ走る長距離バスは昼と夜の二本で、夜行のほうが渋滞がない分早いらしいが、それでも九時間はかかるという。これでおなじサンパウロ州だというのだから恐れいる。子どものころから三半規管が弱く、車酔いする体質だったから、遠足や移動教室でも常に一番前の教師の横に座らされた。たしか小学校四年生のころ、バスで四時間近くかけて八ヶ岳にキャンプに行ったときは、片道だけで四回吐いた。その計算でいくと、ミランドポリスにつくまでに十回は吐くことになる。さすがに四十代なかばにもなってそこまで簡単に酔わなくなっているものの、子どものころの強迫観念だけが残っていて、そんな計算を即座にしてしまう。

 サンパウロの空港に着いたのは昨日の夕方だった。地球の裏側にある日本からは、ドバイ経由で三十時間ちかく飛行機に乗らないといけない。その上、空港から乗ったタクシーの運転が荒く、カーブのたびにからだが転がり、あまり整備されていない道路ではからだが跳ねる。おかげで、最初から最後まで窓の上のグリップを掴んでいなければならず、ホテルに着いたときには、ふわふわとからだが揺れていた。

 その翌日に、このバスだ。バスで本を読むとすぐに酔ってしまうので、九時間かかろうが、十時間かかろうが、とにかく寝たおすしかないと思い決めていた。眠れなかったときのために、睡眠導入剤も持っていたが、幸いなことに時差ぼけもあって、いくら寝ても眠かった。

「もうすぐ二つ目の休憩所につくよ。」

 隣の席から、芽衣子さんが声をかけてくれた。高速道路から市街地に入ったのか、バスは速度を落とし、ゆっくりと左右に車体を揺らしている。カーテンを少しめくると、日の沈んだ空が見える。最後の光がまだわずかに残っている。

「よく寝た?」

 ぼんやりしていると芽衣子さんが言った。

 うん、と答えたものの、まだ眠くて頭が働いていなかった。

 芽衣子さんは、これから訪ねようとしている香月農場で生まれ育った。二十歳のときに結婚して日本に移住してから、もう四十年以上経っているから、日本での生活の方が長い。それでも、このバスには帰省のたびに乗っているから慣れている、ということらしい。

「トイレ行っておいた方がいいよ。この先、休憩ないから。」

「うん。そうする。」

文學界 6月号

2020年6月号 / 5月7日発売
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