どうしようもない。
『風に恋う』を読み終えた直後、私を浸している感情を一言で表せと言われたら、「どうしようもない」と、わたしは答える。それしか答えが見つからない。
今年の二月の半ば、わたしは文藝春秋の編集者から『風に恋う』の解説を依頼された。正直、断るつもりだった。このところ、めっきり筆の遅くなった(年のせいだろうか)あさのとしては、他人さまの作品について何かを語る余力はないと思われたからだ。時間的にも精神的にも。けれど、引き受けた。断るつもりだったのに引き受けた。
法外な原稿料に目が眩んだわけではない(そもそも、法外な原稿料など提示されなかった。きっちり規定通りでした)。編集者に泣きつかれたからでもない(編集の〇〇さん、終始、冷静沈着でした。見習わねば)。額賀澪という作家名に惹かれたからだ。さらに言えば、額賀澪のデビュー作『屋上のウインドノーツ』を読んだ時の心に刺さってきた感覚がよみがえってきたからだ。
人と人との関係が本物だった。志音も大志も瑠璃も血肉のある、心を持つ人間として読み手に迫ってくる。そこにドラムが響き、風が吹き抜ける実感が加わる。安易な青春物語にも安っぽい恋物語にも堕ちない強靭さを持った作品だった。
これが新人の作なのかと、舌を巻き、この作家に幸あれと祈る……わけもなく、「若えくせして、こげなもの書きやがって」と妬ましくて、悔しくて、本棚の隅に押し込んで忘れようとした(我ながら、何とせこいのだろう。冷汗が出てきた)。
〇〇さんからの依頼がなかったら、わたしは額賀澪の作品を封印したままだったかもしれない。いや、違う。封印したままではいられなかった。いつか、本棚の隅からおそるおそる取り出して、初めて読んだときと同じく、夢中で読み耽ることになっただろう。そうでなければ、『風に恋う』の解説を二つ返事で引き受けたりしなかったはずだ。
『屋上のウインドノーツ』の作者が再び、高校の吹奏楽部を舞台に物語を紡いだ。今度は少年が主人公だ。とくれば、読むしかない。わたしに読まないという選択はできなかった(締め切りを延ばしてくれと駄々はこねたが)。
書き手としては妬ましさや悔しさを、また、たっぷり味わうことになるかもしれない。それはそれで苦しくも辛くもある。けれど読み手としては、生きた人間の、しかも少年少女の日々を、闘いを、心の裡を実感として摑める読書体験は快楽以外の何物でもない。
まったくの余談だが、本物の物語が与えてくれる快楽を知れば、人は深酒にも悪いクスリにも溺れたりしないと思う(あ、わたしは下戸です。もちろん悪いクスリなんて見たこともありません)。
で、二つ返事で引き受け、編集部から送られてきた(わたしとしては、贈られてきたという感覚です)『風に恋う』を一気読みすることになる。そして、
どうしようもない。
という想いに浸っているのだ。
ほんと、どうしようもない。どうしようもなく流されてしまう。茶園基を水先案内人とするこの物語の世界に心を流されてしまう。みんな、かっこいい。基が玲於奈が瑛太郎が楓が堂林や池辺や越谷が、一人一人がかっこいい。おじさん世代の森崎さんでさえ、かっこいい。どう、かっこいいのか。彼ら彼女たちは特別な才能に富んでいるわけでも、波乱万丈の冒険に挑むわけでもない。むろん、演奏や作曲の才には恵まれているけれど、天才的、百年に一人の逸材と称されるほどのものではないだろう。
それでも、かっこいい。人としてかっこいい。自分に向き合い、自分を誤魔化さない。
ぶつかりもするし、嫉妬もする。焦燥を抱え、疑心を抱く。それでも、自分が何をしたいのか、何をしてきたのか、挫折や後悔や未練を背負いながら問い続ける。
かっこいいと思いませんか?
姉の里央が過労から倒れ、運び込まれた病院で、基が叫ぶ。
「(前略)僕は音楽がやりたいだけだ! 勉強が大事とか将来が大事とか親の気持ちも考えろとか、そんなのわかってるよ! わかってるけどそれでも音楽がやりたいんだよ! 今年のコンクールは今年しかないんだよ!(中略)だからお願いだから僕に音楽をやらせてよ!」
この叫びの何と生々しく、せつないことか。基は中学卒業とともに一度は吹奏楽から引退する決意をした。幼馴染の玲於奈のまえで『夢やぶれて』を一人、演奏しながら自分の吹奏楽に自分で区切りを付けようとしたのだ。この場面もとても美しい。基という少年と玲於奈という少女と『夢やぶれて』という曲が一体となって、そこに噴水の水の粒が煌めきを加えて、ふっと泣きそうになるほど美しい場面が作り上げられている。
その決意を翻し、基は再びサックスを手に取る。そして、音楽に演奏にのめり込んでいく。その過程を、額賀は丁寧に丁寧に、しかし、決して過剰とはならない筆で追っていく。だから基の「僕に音楽をやらせてよ!」の叫びが、嘘でなく伝わってくる。
そして、基をもう一度、吹奏楽の世界に引き込んだ張本人(といういい方は、些か的外れだろうか)、不破瑛太郎は基と玲於奈に語る。
「俺は、高校時代に吹奏楽にしか一生懸命になれなかった自分を、少し後悔してるんだ」
この台詞に出逢ったとき、大げさでなく身体が震えた。これは、一種の敗北宣言ではないか。一つの何かに打ち込んだ過去を後悔するという敗北宣言。
一生懸命になることを、一生懸命に何かを成し遂げることを、わたしたちはずっと称賛してきた。その称賛の上で、たくさんの物語を紡いできた。
瑛太郎の台詞は、そこに静かに刃を突き立てたのだ。静かで、鋭く、容赦ない異議申し立てのようにわたしは感じ、震えたのだ。
懸命な努力、必死の想いは物語の華になる。そこを書き込めば、共感を得やすくなるし、ストーリーを進めやすくもなる。けれど、深みを奪いもするのだ。額賀はそのことを本能的に察知していたに違いない。『屋上のウインドノーツ』で既に萌芽していた人間の捉え方、ストーリーのための人ではなく、人が作っていくストーリーの捉え方が『風に恋う』ではさらに育ち、茂り、蕾を付けていた。
しかも、前述した基が叫ぶ場面は、瑛太郎の告白の後に嵌め込まれているのだ。憧れの先輩の秘めていた後悔を知ってなお、基は音楽を選び取ろうとする。
『風に恋う』が青春小説である証だ。世間を知らず、人生を知らない少年が想いだけを武器として、前に進んでいく。現実の世界でなら、基を愚かと嗤う者も、若いからできるのだと訳知り顔に頷く者もいるだろう。だからこそ、基は叫んだのだ。自分の想いが現実に掻き消されないために。埋もれてしまわないために。若さのありったけを込めて叫んだのだ。青春小説でしかなしえない仕事だと思う。基がこの叫びを悔いるときが、こないとは言い切れない。しかし、想いを抱いた少年が周りを変え、自分を変えていった事実は読み手の胸に確かに刻まれた。それは、わたしたちの現実をも変える力に繋がるだろう。静かで美しいくせに、起爆の能力を持つ。『風に恋う』はそんな小説だ。
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