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ジョン・フォード論 第一章-III そして人間

ジョン・フォード論 第一章-III そして人間

文:蓮實 重彦

文學界7月号

出典 : #文學界

「文學界 7月号」(文藝春秋 編)

 そこへといたる事情はこうしたものだ。王党派の指揮官(ジョン・キャラダイン John Carradine )にたきつけられたインディアンの攻撃を受けて、開拓民たちの砦は陥落寸前となり、離れた土地の味方の軍勢に助けを求めねばならない。最初にその伝令役を買ってでた男を演じているのはフォード自身の兄貴にあたるフランシス Francis Ford だが、いつもまわりのものたちを笑わせていた飲んだくれの彼はあっさりと敵軍に捕まり、藁を積んだ荷車に縛りつけられて火を放たれてしまう。そこで、焼死寸前という瞬間に、その苦しみを避けさせようとした味方の一人によって射殺されてしまうのだが、そうした陰惨な戦闘のさなかに、こんどはヘンリー・フォンダが、自分は俊足だから追手から逃げ切ってみせる、自分が住んでいた林の中の状況にも詳しいからと妻のクローデット・コルベール Claudette Colbert に向かっていい、身軽になるために彼女にその重そうな銃を託し――彼女は、思いもかけず、それでインディアンを殺戮することになるだろう――、夜陰に乗じて、小さな斧だけを手に砦を抜け出す。ところが、彼を追おうと走り出した三人のインディアンは、ついさっきまで火のついた矢でしきりに砦を攻撃していたはずなのに、なぜか長い槍とトマホークしか握っておらず、馬という俊足動物の姿はみごとなまでに画面から排除されている。

 ようやく明け始めた茜色の空の拡がりを背景として、フォンダは動物さながらの寡黙さで――あえて、馬のようにとはいうまい――ひたすらに走る。谷川に足を踏み入れ、野原を走りぬけ、難儀しながら沼を渡り、渓流で喉を潤し、折れた枝に行く手を阻まれがちな林を器用にすり抜けてゆき、いっときも休もうとすらしない。遥かに地平線が見えるほどの平坦な草原をかけぬけるヘンリー・フォンダの背後には、三人のインディアンが迫っている。だが、さすがに健脚を誇るだけあって、彼との距離は一向に縮まろうとする気配すらない。しかも、インディアンの二人はすでに遅れ始めている。また、ここにはクローズアップが一つとして挿入されていないので、作中人物の心理を推測することもかなわない。そして、ようやく朝日が昇ろうとする赤みがかった空を背景として、ふと画面から消えて行くフォンダの小さな姿が見てとれる。ところが、近距離から追っていたインディアンの一人はそこで力尽き、トマホークを放りだしてがっくりと膝をつく。その姿が小さなシルエットとして逆光の中にきわだつとき、日本でも欧米の劇場でも、観客の含み笑いのようなものが必ず起こったものだ。(註1

文學界 7月号

2020年7月号 / 6月5日発売
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