進駐軍(米軍)の将校から孤児院に寄贈された高価なコード・ハーモニカが忽然と消え失せ、船橋たちの進言で収容児童全員のベッドとロッカーが調べられると、それは「ぼく」のベッドのマットレスの中から発見される。
また果物屋の娘に宛てた偽のラブレターの書き手に仕立て上げられ、さらにボクシングの試合を装った殴り合いで、船橋に何度も気を失うまで殴り倒される。
だが、船橋たちの企みに気づきはじめていたダニエル院長に、
「たしかに、あれは試合だったんですね?」
と問われると、
「……そうです」
と答える。
加害者の嘘に対抗して、自分の身を守ってくれるものは、やはり 嘘(フィクション) でしかないことを、「ぼく」は悟ったのである。
「四十一番の少年」で、作者の回想の舞台となるS市郊外の「ナザレト・ホーム」では、収容児童の全員に、洗濯番号(洗濯に出した自分の下着を識別するために印(しる)す番号が付されていた。
ホームへの収容順につけられた番号は、数の少ない(つまり先に入った)ほうが上位に立つ――院内の序列をも意味している。
題名の四十一番というのは、作者の分身である橋本利雄。そして、影の主人公である松尾昌吉は十五番で、利雄は二十数年まえ、ホームでは抗弁を許されない上位にある昌吉の圧倒的な暴力による恐怖の専制支配下に置かれていた。
利雄を徹底的に隷従させるための昌吉の言動が、いかに苛酷でどれほど恐ろしいものであったかは、幾つかのエピソードを連ねて、読む者を十分に納得させる筆致で描かれる。
影の主人公である少年は、一枚の西洋紙に「松尾昌吉のこれからの履歴書」を、ぎっしりと詳細に書き連ねていた。その要点を抜粋すれば――。
昭和24年8月 S駅で百万円拾う。
昭和25年3月 S大法学部に合格。
5月 牧野浩子嬢と婚約。
昭和29年3月 S大法学部を次席で卒業。
9月 ダートマス大学法学部に編入。
昭和31年7月 ダートマス大学卒業、帰国。
8月 ナザレト・ホーム聖堂にて、浩子嬢と挙式。
昭和32年4月 岳父経営のS新報社へ入社。
昭和35年4月 S新報編集局次長となる。
昭和37年7月 編集局長となる。
昭和40年4月 S新報社長に就任。
これが昌吉の脳裡におもい描かれていた将来の「物語」であった。しかし、すでに作品を読了された方はご承知のように、それはじつに衝撃的で悲劇的な結末を迎える。
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