わが国において、宗教的聖域としての「アジール」を最初に問題にしたのは、平泉澄(きよし)の初期の論文だったようであるが、その言葉を知識層の共通語にしたのは、網野善彦『無縁(むえん)・公界(くがい)・楽(らく)』(78年)であったろう。
その本で網野は、江戸時代に幕府公認の縁切寺であった鎌倉の東慶寺と上州の満徳寺は、紀元前から西欧に存在したアジールの一形態であるとした。
それからさらに、女性のためのアジール(隠れ場所、聖域、保護区、避難所)としての「東慶寺は素晴らしい発明であった」と考える井上ひさしは、居を鎌倉に定めた縁もあって、そこを舞台にした短篇連作「東慶寺花だより」の連載を「オール讀物」98年4月号から足かけ十一年にわたって続けた。
そしてこのたび全十五話をまとめて刊行されたのが本書である。
全篇を通じての主人公は中村信次郎。医者の見習いから転じて今は滑稽本の作者――といってもまだ小品を一作出しただけという新米の若い戯作者だ。
江戸蔵前の町医者西沢佳庵のもとから飛び出し、遠い縁を頼って鎌倉東慶寺の御用宿「柏屋」に身を寄せ、一人前の戯作者になるべく布団部屋に籠もって苦吟を続けてきたが、なかなかおもうように筆が進まない……というところから話が始まる。
縁切寺が「駆け込み寺」ともいわれているのはご承知の通りで、冒頭の「梅の章 おせん」の女主人公は、日本橋の唐物問屋「唐子屋」の内儀。駆け込んで来たからといって、すぐにそのまま、すんなりと東慶寺に入山できるわけではない。
まず寺役人が、駆け込んだ女房の名前や住所を控えてから、「柏屋」のほかに二軒ある門前の御用宿の何(いず)れかに身柄を預け、こんどは宿の主人が駆け込みに到るまでの事情を詳しく聞き出して、寺役所に提出する調書を作るので、信次郎はそこで書記の役目を、番頭利平と分担して務めることになる。
柏屋の主人源兵衛の言葉を写すのが信次郎、そして唐子屋の内儀おせんの言葉を写すのが利平の役割だ。
源兵衛の尋問に対するおせんの答えはこうであった。
嫁いでから十五年、夫処之助(ところのすけ)と喧嘩したことは一度もない。夫は堅物で他に女はいない。酒は一滴も飲まず、酒という言葉を聞いただけで、真っすぐ歩けなくなるくらい。
身を粉にして働くのが唯一の生き甲斐で、無駄遣いは一切しないどころか、よくお金を拾って帰って来る。
そして顔は、役者にして中村座の舞台に立たせたいような器量であるという。