- 2020.08.20
- インタビュー・対談
島本理生「自分がこんな小説を書くなんて数週間前まで考えもしなかった。」
島本 理生
新連載『星のように離れて雨のように散った』に寄せて
出典 : #別冊文藝春秋
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
幼い頃、私はたぶん明確に宮沢賢治作品が嫌いだった。理不尽と唐突な怒りと自己犠牲に溢れ、常に死の気配がして、それでいて、熱くどろりとした生命力も感じる。正直、生理的に気味が悪かった。
ただ、アニメ版の『銀河鉄道の夜』のビデオだけは自宅でものすごく真剣に見ていた記憶がある。ますむらひろしさんのファンだったこともあるが、なにより、アニメーションと呼ぶにはあまりに深い銀河の闇に引き込まれた。
私が一九八三年生まれで、映画が公開されたのは一九八五年なので、おそらく私が六、七歳の頃に失踪して、それ以来、行方不明の実父がまだいた頃に見ていたことも、関係しているように思う。
だから、宮沢賢治作品の中で『銀河鉄道の夜』だけがどうも自分の中でもぽっかり浮いている作品だった。
とはいえ、それだって堂々と、好きだ、と言い切れるわけではなかった。なにより『銀河鉄道の夜』は賢治作品の中でも解釈が難しい。
その諸々が変わったのは宗教を勉強し始めてからで、急激に宮沢賢治が面白くなった。読んで、分かる、とは言わないけれど、分からないものもあるのだという実感が体の中でこなれてきて、部屋の本棚には、もともと大好きな作家たち―坂口安吾や寺山修司や福永武彦―ではなく賢治関連の研究書や新書が増えていった。
一方で、好きになったから興味を持ったわけではない気もする。始まりはやっぱり、嫌だ、と思いながらも、引っかかっていた子供時代なのだ。SNSで他人を攻撃している人ほど、だいたい寝ても覚めても相手のことを探り続けて、一挙一動に心乱されている。それは自分の中の「なにか」が刺激されるからで、私もまたその「なにか」を探している。
私の手元には、消えた父の残した手紙が一通だけある。その文体からは、私が身内から聞いていた父の人物像とは、かなり異なる印象を受ける。
もしかしたら賢治もこんな感じで、当人とはほとんどかけ離れて、今、あるのかもしれない。だとしたら、書く者としては、やはり本人が書き残したものだけが「ほんとう」のようにも思える。たとえそれがただの理想だったり作り物だったとしても、そういう理想や作り物を求めたり必要とする書き手の心というのは紛れもなく、ほんとう、だからだ。
この連載長編は、主人公の「私」と、消えた父親と、『銀河鉄道の夜』という三つの未完の物語をとおして、銀河の闇のむこうに消えたものを見つけたくて書き始めた。
じつは数週間前まで、自分がこんな小説を書くとすら思っていなかった。ほんとうの意味で消えた父親について書こうと考えたことがなかったのだ。そしていきなり始まったということは、たぶん、そういう時期やタイミングが来たのではないかと思う。
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